為政第二

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【009】
()(のたま)わく、(まつりごと)()すに(とく)(もっ)てすれば、(たとえ)北辰(ほくしん)()(ところ)()りて、(しゅう)(せい)(これ)(むか)うが(ごと)し。

【通釈】

孔子云う、「為政者が徳治を以て政治に臨めば、喩えば北極星を中心に天体が回るように、役人達は仁政をモットーに職務に励むようになるものだ」と。

【解説】
徳治とは、仁政のことと考えて良いでしょう。
仁政とは、分かり易く云えば、思いやりの政治・血の通った政治・情け深い政治のこと。
自助努力だ!自己責任だ!自業自得だ!と云うのは確かに正論だけれども、全部が全部ということではなく、少なくとも、教育と医療は100%国が面倒を見る位で丁度良いのではないでしょうか。
世の中は正論だけで片付けられるものではない。
確かに、利の元には義が欠かせないけれども、では、義の根っこ・義の土台は何か?と云えば、仁・人類愛・人間愛が大前提としてある。
ここを忘れると、正義の為には手段を選ばずとなって、暴虐無惨を極めることとなる。
仁の根っこから切り離された義の独り歩き程、愚かで野蛮なものはありません。十人寄れば十通りの正義と言い分があり、百人寄れば百通りの正義と言い分がある。
元来「義」は妥協を許さないものです。
ですから、正義と正義がぶつかると戦争が起きる。
主権だとか、集団的自衛権だとか、今やらなければ必ず将来に禍根を残すだとか、大義名分は後から何とでもつけられる。
開戦論者に対して、「そこに如何なる仁があるのか!?」と正面切って問うてみたら、まともに答えられる人はいないのではないでしょうか。
もっとはっきり云えば、「そこに分かち合いはあるのか!?助け合いはあるのか!?生かし合いはあるのか!?赦し合いはあるのか!?あれば堂堂と論じてみよ!」と問われて、スカッと一発で答えられる人は一人もいないでしょう。
いろんな戦争を調べてみれば分かるけれども、偶然起きた戦争と云うものは一つもありません。
戦争をやりたい人間が、ああだこうだと屁理屈を捏ね回して、大義名分を捏造して仕掛けてくる。
戦争は戦争好きが始めるんです。
戦争好きは大概男どもですね。
女で戦争好きは聞いたことがない。
人類の半分は女なんだし、今は多くの国が男女同権なんだから、何とかならんもんでしょうかね?
「戦争する男とは、抱擁は勿論接吻も禁止する。万一性交に及んだ場合は重罪に処する!」なる世界女性憲章を国連で提案してみてはどうでしょうか?
国連軍のやることは、それの取り締まりだけになる。
戦争好きな男に対する、女性側からの「非暴力ノンセックス宣言」ですね。
男は強そうに見えても、非常に脆い面を持っていますから、世界中で
「非暴力・ノンセックス宣言」をやられたら、戦争などなくなってしまうんではないでしょうかね。
血気盛んな男どもはイチコロですよ。
腰の曲がった爺さん達が、ねじり鉢巻で「エイエイオーッ!」とやった所で、戦争など起こりません。
せいぜい綱引き大会でお終いです。

【010】
()(のたま)わく、(これ)(みちび)くに(せい)(もっ)てし、(これ)(ととの)うるに(けい)(もっ)てすれば、(たみ)(まぬが)れて(はじ)ずること()し。(これ)(みちび)くに(とく)(もっ)てし、(これ)(ととの)うるに(れい)(もっ)てすれば、()ずる()りて()(ただ)し。

【通釈】
孔子云う、「人民を統治するのに、政治権力を濫用したり、従わない者には刑罰を以てしたりすれば、人民は捕まりさえしなければよしとして、自分の悪事を恥とも思わないようになる。徳治を以て人民を導き、礼節を重んじて統治すれば、人民は自ずから善悪の判断がつくようになって、良心に恥じるようなことはしなくなるものだ」と。

【解説】
「民免れて恥ずることなし」とは、罪の意識をなくしてしまうという
ことですから、人としてこれほど恐ろしいことはありません。
捕まりさえしなければ、詐欺・略奪・暴行何でも有りということですからね。
道徳的・社会的価値判断力、つまり、善悪の判断力のことを基本的情操と云いますが、情操教育のしっかりしている国ほど、社会コストがかからないといわれている。
国民の安心安全を守る為のコスト、中でも治安を維持するための警察費用や、国防の為の軍事費用を考えなくても良いとなったら、莫大な予算を国民福祉に振り向けることが出来るし、税金を安くすることも出来る。
誰もが安心安全で、皆が豊かに富み、一人一人が神の子としての自覚と尊厳を持ち、世界全体が地球規模で発展繁栄して行く、所謂「安・富・尊・栄」の地球文明を早く創り上げなければいけませんね。

【011】
()(のたま)わく、(われ)(じゅう)(ゆう)()にして(がく)(こころざ)し、三十(さんじゅう)にして()ち、四十(しじゅう)にして(まど)わず、五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)()り、六十(ろくじゅう)にして(みみ)(したが)い、七十(しちじゅう)にして(こころ)(ほっ)する(ところ)(したが)えども、(のり)()えず。

【通釈】
 孔子云う、「私は十五才の頃に学問で身を立てようと決心した。三十で学問に対する自分なりの見解が確立した。四十で何ごとに対しても戸惑うことがなくなった。五十で天が自分に命じ与えた使命を覚った。六十で何を聞いても動じなくなった。七十になってからは、心の赴くままに行なっても、道理に違うことがなくなった」と。


【解説】
孔子は74才迄生きた人で、この当時としては長命な方でありました。
七十を過ぎた晩年に、それまでの人生を回想して、心境の変化と云うか、境地を語ったものです。
孔子は大変な苦労人ですから、傍から見るとさぞかし辛い人生だったんだろうな?と思われるかも知れませんが、本人は辛いとか苦しいなどとは全く口にしなかったようです。生来の楽天家だったようですね、愚痴をこぼしたこともありません。
孔子を教祖として殊更(ことさら)無謬化(むびゅうか)・神聖化する必要はありませんが、だからと云って、どこにでもいる勉強好きのオッサンとするのも謬見(びゅうけん)です。
どこにでもいるオッサンの語録が、2500年間も読み継がれる筈がありませんからね。
孔子はやはり、偉大なメッセージを遺した人類の大奉仕者・グレートサーバントだったんですね。
偉大な人物ほど、高遠なことをサラリとさりげなく言うものですから、うっかりすると、肝心要な所を読み飛ばしてしまう。
だから、いつまで経っても「論語読みの論語知らず」の域から抜け出せない。
『高く叩けば高く鳴り、低く叩けば低く鳴る。強く叩けば強く鳴り、弱く叩けば弱く鳴る。深く叩けば深く鳴り、浅く叩けば浅く鳴る』。
丁度論語は、奏者(あなた)次第・奏者(あなた)任せの太鼓のようなものかも知れませんね。
叩き手の心境に応じてしか響いてくれない不思議な書物です。

【012】
(もう)()(はく)(こう)()う。()(のたま)わく、父母(ふぼ)(ただ)()(やまい)()(うれ)う。

【通釈】
孟武伯が孝行を問うた。孔子は、「親は子供の病気を何よりも心配するものだ。だから、無茶をして親に病気の心配をかけないことが何よりの孝行だ」と答えた。

【解説】
何とも人間味のある言葉ですね。
こういう所が、孔子をして「人間通」と云わしめる所以(ゆえん)でしょう。
昔の中国では、男子に名前を付ける場合、姓(苗字)の後に名、其の後に字(あざな)を付ける習慣がありました。
字を付ける際は、何番目の子か分かるように、長男には伯・次男には仲・三男には叔、末っ子には季の一文字を入れました。
四男〜五男には決まった文字は入れなかったようです。
ですから、孟武伯は、孟家の長男であったことが分かりますね。
孔子の字は仲尼(ちゅうじ)と云いますから、次男坊だったことが分かります。
この習慣が日本にも輸入されて、今でも残っています。
喩えば、「おじ・おば」を漢字で書く場合、自分の親より年長の人は伯父・伯母と書き、年少の人は叔父・叔母と書きますね。

【013】
()(のたま)わく、(われ)(かい)()う、終日(しゅうじつ)(たが)わざること(おろか)なるが(ごと)し。退(しりぞ)いてその(わたくし)(かえり)みれば、(また)(もっ)(ほっ)するに()る。(かい)(おろか)ならず。

【通釈】
孔子云う、「私が顔回と話しをすると、一日中ハイハイと聴いているばかりで、まるで手応えがないものだから、こいつはバカか?と思ってしまう。しかし、退出した後の私生活を観察すると、私の云ったことに発奮興起(はっぷんこうき)して自己研鑽に励んでおる。どうしてどうして、顔回はバカどころではない」と。


【解説】
回とは弟子の顔淵のことで、孔子より30才年少でした。
顔淵の父・顔路(孔子の6才下)も孔子の弟子でしたから、親子二代に渡って孔子に師事した訳ですね。
顔淵は徳行第一の人物とされ、孔門十哲の中でも筆頭に挙げられる人物で、孔子も自分の後継者として期待していたようですが、四十そこそこで孔子よりも先に亡くなってしまいます。
顔淵の死にまつわる様子が、数本論語に残されています。

【014】
()(のたま)わく、()()(ところ)()()()(ところ)()()(やす)んずる(ところ)()れば、(ひと)(いずく)んぞ(かく)さんや。(ひと)(いずく)んぞ(かく)さんや。

【通釈】
孔子云う、「一にその人の行いをよく視(み)る。二にその行いの原因・動機を観(み)る。三にその人がどんな所に安らぎを求めているかを察(み)る。かくすれば、その人の正体はすっかり分かってしまうものだ。どうして隠せようか」と。

【解説】
これが2500年前の孔子流「人物鑑識法」ですが、これは今でも殆ど変っていませんね。
私達は人を判断する際に、容姿や言語、つまり、視覚や聴覚だけに頼って判断しようとしますが、どうもこれが間違いの元のようです。
視も観も察も「みる」と読み下しますが、「注視する」・「観取(かんしゅ)する」・「洞察する」ととっても良いでしょう。
実は、容姿や言語で判断して、孔子も失敗しているんです。
容姿の方では、澹台滅明(たんだいめつめい)という人物が入門してきた時、あまりにも醜男(ぶおとこ)であった為、「大したことなかろう!?」と高を括っていたら、実は正道を貫く大人物であったとか。
言語の方では、宰我(さいが)の弁舌を信じて「立派な人物であろう」と期待していたら、行いがデタラメで手が付けられなかったなど。
特に言語には余程懲りたのでしょう、「始め吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る」と、告白しています。

【015】
()(のたま)わく、(ふる)きを(たず)ねて(あたら)しきを()る、(もっ)()()るべし。

【通釈】

孔子云う、「古いことの中から新しい意義を発見することが出来れば、立派な指導者になれるだろう」と。

【解説】
古くて古いだけのものは何となくかび臭い。
新しくて新しいだけのものは、何となくインチキ臭い。
古くて常に新しいものこそが本物ってことですかね、温故知新とは。
古いものを単なる骨董品にするか、それとも精神遺産として教訓を引き出すか?は、本人次第ということですね。

【016】
()(のたま)わく、君子(くんし)(うつわ)ならず。

【通釈】
孔子云う、「出来た人物と云うものは、用途の限られた器物のようなものではない」と。

【解説】
用途の限られた道具のような人材になるか?それとも、それぞれの道具(人材)を用途に合わせて、生かして使う側になるか?
君子・リーダーは道具のような人であってはいけない、道具を使いこなす人になりなさい!ってことですね。

【017】
()(こう)君子(くんし)()う。()(のたま)わく、()(おこな)う、()(ことば)(しか)(のち)(これ)(したが)う。

【通釈】

子貢が、君子としての心構えを問うた。孔子は、「実行が先!言葉は後!これが君子と言うものだ」と云った。

【解説】
子貢は孔子より31才年少で、所謂(いわゆる)頭が切れて弁が立つ優れ者でした。
十哲の一人で、言語の人とされました。
こういうタイプの人は、どうしても理屈が先に出て実行が後回しになってしまう。
だから弁の立つ子貢に云ったのでしょう、「実行が先!言葉は後!」と。
孔子の教育方法は対機、つまり、相手の機根(きこん)や性分に合わせて指導するのが特徴です。十把一絡げのワンパターンではありません。
時には、人によって正反対の答え方をしている。
こういう師を持った弟子達は幸せだったでしょうね、「先生は自分のことをちゃんと見ていてくれる」と実感できた訳ですから。
ワンパターンでマンネリズムのことを「バカの一つ覚え」と云いますが、バカの一つ覚えで通用するほど世間も人も甘くはないんですね。
諸行無常・変化常道ですからね、世の中は。

【018】
()(のたま)わく、君子(くんし)(しゅう)して()せず、小人(しょうじん)()して(しゅう)せず。

【通釈】
孔子云う、「出来た人物は、分け隔てなく広く人と交わるものだが、くだらない人物は偏った狭い交わりしか出来ないものだ」と。

【解説】
人は、血縁・地縁・人縁・時縁(時代の縁)の中で生かされている生きものです。
相性の善し悪しは誰にでもあるものですが、「相性の良い人としか付き合わない!」などと云っていたら、人生で用意されている人との出会いの縁を自ら断ち切ってしまうことになります。
不思議なもので、私達は相性の良い人から学ぶことより、相性の良くない人から学ぶことの方が断然多いものです。
人の一生は、人との出会いの縁で決まる!と云っても過言ではありません。人との出会いの縁は、大切にしなければなりません。


【019】
()(のたま)わく、(まな)びて(おも)わざれば(すなわ)(くら)く、(おも)うて(まな)ばざれば(すなわ)(あやう)し。

【通釈】

孔子云う、「学ぶだけでじっくりと自分の頭で思索してみなければ、真に活きた学問とはならない。逆に、自分の頭で思い巡らすだけで、博く学ぶことをしなければ、独善に陥って危なっかしい」と。

【解説】
「学びて思い、思いて学ぶ」と云うのは、学問を志す者の鉄則です。
「学ぶだけ」ですと、思考力が鍛えられませんから、パブロフの犬のように条件反射的に反応するだけの頭になりますし、「思うだけ」ですと、井の中の蛙のように独り善がりの頭になってしまいます。
学校で学ぶことは、常に模範解答がありますから、分からなければ教師に聞けば良い。
しかし、社会に出ると日々応用問題の連続で、答えは自分で見つけ出すしかありません。
Aさんに通用した答えが、そのままBさんにも通用するとは限りませんし、昨年通用した答えが、今年も通用するとは限りません。
この時ものを云うのが、要点を整理し仮説を立ててみる頭、つまり、思考力と判断力。
思考力を鍛えるには「学びて思い」、判断力を鍛えるには「思いて学ぶ」習慣を身につけることが大切です。
真に頭が良いかどうかは、固定観念や既成概念に縛られず、どれだけ自由闊達に仮説を立てられるかで決まるようです。
何でも知っている生き字引のような人も凄いと思いますが、真の頭のよさとはちょっと違うようです。

【020】
()(のたま)わく、(ゆう)(なんじ)(これ)()るを(おし)えんか。(これ)()るを(これ)()ると()し、()らざるを()らずと()す。()()るなり。

【通釈】

孔子云う、「由(子路の名)よ、お前に知るとはどういうことか教えようか。知っていることは知っているとし、知らないことは知らないとはっきりさせる。これが本当に知ると云うことだ」と。

【解説】
子路は政治に優れた十哲の一人で、孔子より9才年少です。
子路は即断即決で、一度承諾したことは必ず約束を守る、一本気なナイスガイでした。
孔子に弟子入りする前は、長剣の使い手、冠に鳥の羽を飾って粋がっていたヤクザ者でしたが、オカルト好きの傾向があったようです。
その子路に対して孔子は、まるでソクラテスの問答のようなことを云っている訳ですが、一体どのような背景があったのでしょうか?
この時代、今で云う超能力や霊現象、或はご利益信仰のようなオカルトブームがあったようです。
孔子の母・顔徴在(がんちょうざい)は、幼い頃から巫女としての特別の訓練を受けた霊能者でした。
母子家庭で育てられた孔子は、目に見えない世界の危険なことをよく知っていたのでしょう。(母・顔徴在は、孔子16才の時に30前の若さで死んでいる)
道理のはっきりしないものにオカシナ興味を持たぬよう、知らないこと、つまり道理のはっきりしないものには近づくな!と云う思いがあって、このような哲学問答のような言葉が発せられたのではないでしょうか。
この当時、人間の死後については「魂魄(こんぱく)の思想」というものがありまして、人が死ぬと魂は天に、肉体(魄)は地に還ると考えられておりました。
ですから、肉体の一部であるシャレコウベを被って、天から魂を呼び寄せて乗り移らせれば、あの世との通信が出来ると考えられておりました。
これを依代(よりしろ)と云って、その役目を担ったのが巫女です。
巫女は生涯処女でなければならない決まりがありましたから、孔子の母は正式な巫女の仕事は出来ません。
この仕事は危険を伴う為、正式な神降ろしは、巫(フ)・祝・史という三人一組のチームで行います。
孔子を育てる為に、母は闇稼業のような形で、一人で危険な霊現象を請負ったりしたのではないでしょうか。
生体エネルギーを使い果たして、三十前で亡くなっています。
特別の訓練を受けたプロでさえこうなのですから、素人が興味本位でオカルト現象に近づくのは、危険極まりない。
子路は反骨の固まりみたいな男ですから、直接「やめろ!」などといえば却ってやる人です。
仕方なくこのような問答にならざるを得なかった、という所ではないかと思います。
他にはちょっと考えられません、子路は血の巡りの良い方ではありませんから。


【021】
()(のたま)わく、()()(あら)ずして(これ)(まつ)るは(へつら)いなり。()()()さざるは(ゆう)()きなり。

【通釈】
孔子云う、「自分の家の先祖でもないものを祭るのは、ご利益目当てのご都合主義である。正しいと知りながら実行しないのは、勇気のない臆病者である」と。

【解説】
やはりこの時代、ご利益信仰が流行っていたようですね、中国版「バール信仰」ですかね。
利の元は義、義の根は仁ですから、仁の根っこから断ち切られた義は浮遊霊のようなご都合主義の義となり、更に、義から切り離された利は浮利となります。
史記の貨殖列伝に、富を三つに分けて、「本富(ほんぷう)を上と為し、末富(まっぷう)之に次ぎ、姦富(かんぷう)最も下なり・本富為上、末富次之、姦富最下」とありますが、これを現代風に申しますと、

  本富‥‥広く社会に恩恵を及ぼす富を創出する事業。
  末富‥‥本富に付随して、富の拡大再生産をはかる事業。
  姦富‥‥本富・末富で創出→拡大再生産された富を、掠め取ってしまうような事業。
                富の創出も拡大再生産もしない、ゼロサムの投機ビジネス等。

この姦富が浮利に相当する訳ですが、代表的なものが博打ですね。

姦富がはびこり、人々が浮利を追うようになると、社会が荒廃するといいますが、人間は一体いつになったらこのマネーゲームから卒業できるのでしょうかねえ。

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