子罕第九

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【073】
()(まれ)()()う、(めい)とともにし、(じん)とともにす。

【通釈】
孔子が利の話をすることは極めて罕(まれ)であった。たまに利の話しについて語る際は、必ず天命と仁道に関連付けて語った。

【解説】
儒教は利益を否定しているのではないかと勘違いしている人もおられるようですが、決してそんなことはありません。
仁或は義に叶った道で得られる利益なら大いに善しと云うことでしょう。金儲けは元々善でも悪でもなく、価値中立的なものです。
ただ、仁徳の有る無しと、金儲けの上手下手とは何の相関関係もないようで、仁徳があって金儲けが下手な人もおれば、仁徳が無くて金儲けが上手な人もいる。
仁徳の有る無しと、金儲けの上手下手を組み合わせてみると‥‥、
  一、仁徳が有って、金儲けも上手
  二、仁徳は有るが、金儲けは下手
  三、仁徳は無いが、金儲けは上手
  四、仁徳も無いし、金儲けも下手
の四通りになりますかな。
面白いものですね。

【074】
()(よつ)()つ。()()く、(ひつ)()く、()()く、()()し。

【通釈】
孔子は四つの執着を断ち切って、あの円満な人格を磨き上げて行ったのである。四つの執着とは、私心・必遂(ひっつい)・頑固・我執がそれである。

【解説】
こういうことをちゃんと記録している所が、仏典や聖書には見られない論語の面白さですね。
仏教やキリスト教では、釈迦やイエスは完全に無謬化(むびゅうか)・神聖化されていますからね。
孔子がいつ頃四つの執着を克服したのか、はっきりしませんが、「四十にして惑わず」とありますから、恐らく四十才頃に断ち切れたのではないでしょうか。
と云うことは、それまではこれらの執着に振り回されていたということです。
孔子がどのようにして四つの執着を克服して行ったのか?何も記されておりませんが、ある時孔子は、これらの感情はバラバラに起こるものではなく、一つの感情が起きると、それに触発されて次々と連鎖反応が起きることに気が付いたのではないでしょうか。
     私心が起こると(意)→
     必ずやり遂げずんばあらずの念が起こり(必)→
     これに凝り固まって頑なになり(固)→
     我を通そうとする(我)。
まあ、「執着の循環・サークル」のようなものですね。
ならば全ての元である「私心」を取り去ってしまえば、次の反応は起こらない筈だ!元から断ってしまえ!!
意母く(私心)→必母く(必遂)→固母く(頑固)→我母し(我執)と徐々に克服して、何ごとにも執着しない円満な人格を作り上げていった。
「人は変れる!性格は変えられる!!」と編者は強調したかったのかも知れません。誰が語ったか分からない文章ですが、中々意味深長ですね。

【075】
大宰(たいさい)()(こう)()うて()わく、夫子(ふうし)聖者(せいじゃ)か。(なん)()多能(たのう)なるや。()(こう)()わく、(まこと)(てん)(これ)(ゆる)して(まさ)(せい)たらしめんとす。(また)多能(たのう)なり。()(これ)()きて(のたま)わく、大宰(たいさい)(われ)()れるか。(われ)(わか)かりしとき(いや)し。(ゆえ)鄙事(ひじ)多能(たのう)なり。君子(くんし)(おお)からんや。(おお)からざるなり。

【通釈】
ある国の宰相が子貢に向かって、「あなたの師匠は誠に聖人であられる。何と多能なお方でしょう」と云った。子貢はこれに答えて、「はい、誠にその通りでありまして、天がその代理として先生をこの世に遣わされ、天の御心で先生を聖人たらしめようとしているのです。その上多芸にも通じておられます」と云った。これを聞いた孔子は、「大宰は私のことを本当に知っているのだろうか?私は若い頃身分も低く貧しかった為、生きんが為・食わんが為に何でもやったので、あれこれつまらないことが出来るようになっただけのことだ。一体君子は多芸多能でなければならぬものだろうか。いや、多芸多能である必要など無い」と云った。

【解説】
なまじっか器用な為に、人に都合よく使われて大成しない人のことを「器用貧乏」といいます。
人に重宝がられますし、喜ばれますから悪いことではないのですが、何か一つ本格的なものを修得した上での多芸多能でないと、つまり、万事に広く浅くですと、本格的な人が現れた途端、影が薄れてチンドン屋になってしまいます。
何か一つはじっくりと基本から取り組んでみることも必要です。
基本が出来ておりませんと、応用変化がうまく行きませんし、ましてや、その道の「もどき」にはなれても、「一流」に大成することは殆どありません。
武道・芸術・音楽・書道・スポーツ‥‥、基本を省略して一流に大成した人など、聞いたことがありませんね。
孔子自身、「もどきの何でも屋」と思われることが嫌いだったのでしょう、六芸(礼・楽・射・御・書・数)以外の俗事にも精通していたようです。
私塾を開く前の孔子は、何で食いつないでいたかと云うと、27歳の時に一度仕官しますが、それ以外は、民間の葬儀を取り仕切ることで糊口を凌いでいたようです。
云ってみれば、葬儀屋のルーツは孔子ってことですね。

【076】
()(きゅう)()()らんと(ほっ)す。(ある)ひと()わく、(いや)しきこと(これ)如何(いかん)せん。()(のたま)わく、君子(くんし)(これ)()らば、(なん)(いや)しきか(これ)()らん。

【通釈】
孔子がある時、東方の夷(えびす)の国に移住してみたいものだといった。これを聞いた或る人が、「夷の国といえば、未開でむさ苦しい所と聞いておりますが、これをどうなさいますか?」と問うた。これに対して孔子は、「君子が行って住むようになれば、周囲の人々もこれに感化されて、自然に公序良俗が行き渡るものだ。何のむさ苦しいことなどあろうか」と云った。

【解説】
中華思想・中国が世界の文化・政治の中心であり、他に優越するという思想は、周代に始まるとされておりまして、中原(ちゅうげん・黄河中下流域)に住む漢民族以外は皆未開の野蛮人とされておりました。
異民族を東西南北に分けて、東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)・北狄(ほくてき)と称し、これら四夷を漢民族の徳化によって文明国にしてやろう、と云うのが中華思想の骨子です。
ただ、漢民族は後漢から魏晋にかけて、ほぼ絶滅しておりまして、現在の中国に住んでいる人達は、漢民族とは別の人種であることが、遺骨のDNA鑑定で分かっている。
つまり、今中国で孔子の子孫と名乗っている人達は、DNAでは孔子の時代とは違った民族であるということですね。
後漢から魏晋にかけて、五千万人いた人口が、10分の1の五百万人に減ったといわれておりますから、四夷の民族と猛烈に混血を繰り返して人口を増やしていったのでしょう。
隋王朝も唐王朝も、漢人ではなく鮮卑(せんぴ)と云う民族の建てた王朝です。
隋の煬帝も唐の大宗李世民も、ともに鮮卑族です。
こんなこと、知らなかったでしょう?

【077】
()(かわ)(ほとり)()りて(のたま)わく、()(もの)(かく)(ごと)きか。昼夜(ちゅうや)()かず。

【通釈】
ある時孔子が川の流れを見つめながらポツリといった、「過ぎ去って行くものはすべてこの川の流れのようなものだ。昼となく夜となく一時も止まることがない」と。

【解説】
孔子とほぼ同時代、これと同じことを云った人物が二人おります。
インドでは釈迦が、万物は変化して少しの間も止まらないと、「諸行無常」を説いた。
ギリシャではヘラクレイトスが同じ川の水に二度入ることは出来ないと、「万物流転」を説いた。
つまり、この世で唯一変らないものがあるとすれば、それは「万物は変化する」という法則のみ、と云うことですね。

【078】
()(のたま)わく、(たと)えば(やま)(つく)るが(ごと)し。(いま)一簣(いっき)()さずして、()むは()()むなり。(たと)えば()(たいら)かにするが(ごと)し。一簣(いっき)(くつがえ)すと(いえど)も、(すす)むは()()くなり。

【通釈】
孔子云う、「人の一生は譬えて見れば、山を築いたり、地面をならしたりするようなものだ。あと一簣(ひともっこ)で山が完成するのに、そこで止めてしまえば、事業は未完成で終わる。これは誰のせいでもない、自分が投げ出したからである。又、地ならしをするのに、あと一簣入れただけで地面がならされるのは、他でもない、諦めずに最後迄やり遂げたからである」と。

【解説】
登山でもマラソンでも、登頂の一歩手前、ゴールの5キロ手前が最も苦しいといいます。
そこを耐えて頑張り抜いた時に、「達成感」と云う大きな褒美が待っている。
スポーツに限らず何でもそうですね、苦労して成し遂げた時には、金銭には代えられない大きな喜びがあります。
耐えることを知らなかったら、本当の喜びは分からないのではないでしょうか。
一生涯順風満帆で過ごせた人などおりませんし、これからもないでしょう。
一生楽してばかりでは魂が鍛えられませんから、必ず人生のどこかで苦に耐えることを学ぶ仕掛けが設けてある、自分を一回り大きくする為に。
もし耐え忍ぶことが人間に必要ないのであれば、釈迦は「忍辱(にんにく・耐え忍びの完成)」などという修行項目を挙げなかったでしょう。
だからと云って、「受難礼賛」などになってはいけませんね、本末転倒です。

【079】
()(のたま)わく、(なえ)にして(ひい)でざる(もの)あり。(ひい)でて(みの)らざる(もの)あり。

【通釈】
孔子云う、「やっと芽が出たのに、穂にならぬものがある。せっかく穂が出たのに、実らぬものがある」と。

【解説】
漸く芽を出したか!と喜んでいると、途中で伸びが止まって花の咲かないものがある。
やっと花が咲いてこれからが楽しみだ!と思っていると、途中で萎れて実のならないものがある。
人間もこれと同じで、何ごとも中途で投げ出してしまえば、あと一歩と云う所で伸びが止まってしまい、結局中途半端で終ってしまう。
一度取り組んだら、やるだけはやってみろ!上手下手は二の次!ってことですね。

【080】
()(のたま)わく、後生(こうせい)(おそ)るべし。(いずく)んぞ(らい)(しゃ)(いま)()かざるを()らんや。四十(しじゅう)五十(ごじゅう)にして()くこと()くんば、()(また)(おそ)るるに()らざるのみ。

【通釈】
孔子云う、「青年諸君は無限の可能性を秘めておって、末恐ろしいものがある。どうして後輩達がいつまでも先輩に及ばないことがあろうか。しかし、四十五十になってもパッとしないようでは、最早そこまでの人物で、先を期待するのは無理だろう」と。

【解説】
「今の若い者は!」などと孔子の時代も云われていたのでしょう。
孔子は、「そんなもんじゃない!若者は無限の可能性を秘めているのだ!」と、期待を込めて云っておりますが、後段が何とも手厳しい。
「四十五十になってもパッとしないようでは、最早そこまで!」と云うんですからね。
四十五十を四十代・五十代、つまり、六十までと拡大解釈しても良いでしょう。大器晩成型の人もおりますから。

【081】
()(のたま)わく、法語(ほうご)(げん)は、(よく)(したが)うこと()からんや。(これ)(あらた)むるを(たっと)しと()す。(そん)()(げん)は、()(よろこ)ぶこと()からんや。(これ)(たず)ぬるを(たっと)しと()す。(よろこ)びて(たず)ねず、(したが)いて(あらた)めずんば、(われ)(これ)如何(いかん)ともする()きのみ。

【通釈】
孔子云う、「筋の通った忠告には、素直に従うほかあるまい。忠告に従って過ちを改めるのは貴いことである。遠回しで物柔らかな諭告(諭し)は、ありがたいものだ。その言葉の奥に有る深い意味を汲み取ることは貴いことである。しかし、巽与の言を聞いても深い意味を尋ねようとせず、法語の言を聞いても悔い改めようとしない者は、私としては、何とかしてやりたくても、何ともしようがないのだ」と。

【解説】
法語の言とは、ズバリと指摘する筋の通った忠告のこと。
巽与の言とは、遠回しで物柔らかな諭しのこと。
孔子ほどの大聖人でも、どうにもならない人がいるんですね。
そう云えばイエスも、マタイによる福音書の中で、「豚に真珠」の喩えを語っていますから、同じ神の子人間とは言え、箸にも棒にもかからないと云うか、糠に釘と云うか、そういう人は居るものなんですね。
忠告も、ズバリと指摘した方が良い人と、遠回しに云ってもちゃんと分かる人がおりますから、十把一絡げのワンパターンではいけないってことですね。
人を見て法を説くというのは、難しいものですね。

【082】
()(のたま)わく、三軍(さんぐん)(すい)(うば)うべきなり。匹夫(ひっぷ)(こころざし)(うば)うべからざるなり。

【通釈】
孔子云う、「三軍(大軍)の総大将でも、奪おうと思えば生け捕りにすることができる。しかし、たった一人の平凡な男でも、その志まで奪い取ることはできるものではない」と。

【解説】
志とは、心の向かう所を示す言葉ですが、どんな志を持つかは完全に本人の自由意志に委ねられておって、誰もこれを侵すことはできません。
どんな独裁者でも、体の自由を奪うことは出来ても、心の自由迄奪うことは出来ません。
自己決定権を剥奪された奴隷であっても、思いの自由迄剥奪することは出来ません。
これを孔子は、「匹夫も志を奪うべからざるなり」とサラリと述べておりますが、やはり孔子の癖ですね、大事なことをサラリと云うのは。

【083】
()(のたま)わく、知者(ちしゃ)(まど)わず、仁者(じんしゃ)(うれ)えず、勇者(ゆうしゃ)(おそ)れず。

【通釈】
孔子云う、「知者はあれこれ迷うことがない。仁者はくよくよ思い煩うことがない。勇者はおろおろ怖じけることがない」と。

【解説】
どれか一つにでも当てはまれば!?と思うのですが、迷ってばかり、憂えてばかり、懼れてばかりの自分を見ると、本当に情けなくなってしまいます。
憲問第十四でも、孔子は同様の文言を述べていますから、普段から弟子達には「かくありたいものだ!」と、時々語っていたのではないでしょうか。「惑わず・憂えず・懼れず」、本当にかくありたいものですね。

【084】
()(のたま)わく、(とも)(とも)(まな)ぶべし、(いま)(とも)(みち)()くべからず。(とも)(みち)()くべし、(いま)(とも)()つべからず。(とも)()つべし、(いま)(とも)(はか)るべからず。

【通釈】
孔子云う、「共に同じ道を学ぶことはできても、共に同じ道を実践することは中々出来るものではない。共に同じ道を実践することは出来ても、同じ認識に立つことは更に難しい。認識を共有することは出来ても、同じ境地で運命を共にすることのできる人物は、そう滅多に得られるものではない」と。

【解説】
学ぶ→適(ゆ)く→立つ→権(はか)ると云う言葉を使って、孔子は人間の度量と云うか、魂の練れ具合を云っているのではないでしょうか。
学を知識・適を見識・立を膽識(たんしき)・権を覚識に読み換えてみれば、「知識を共にすることはできても、見識を共にすることは難しい。見識を共にすることはできても、膽識(肝っ玉・度胸)を共にすることは一層難しい。膽識を共にすることはできても、覚識(目覚めたる意識)を共にすることは甚だ難しい」となる。
更に、知識を分析力・見識を判断力・膽識を決断力・覚識を洞察力に置き換えてみると、「分析力を共にすることはできても、判断力を共にすることは難しい。判断力を共にすることはできても、決断力を共にすることは一層難しい。決断力を共にすることはできても、洞察力を共にすることは甚だ難しい」となるでしょうか。

【085】
唐棣(とうてい)(はな)(へん)として()(はん)せり。(あに)(なんじ)(おも)わざらんや。(しつ)(これ)(とお)ければなり。()(のたま)わく、(いま)(これ)(おも)わざるなり。()(なん)(とお)きことか()()らん。

【通釈】
「にわざくらの花がひらひらと揺れている。咲き乱れる花のように美しいあなたを、愛しく思わぬ訳ではないけれど、なにぶん家路が遠すぎて」と云う流行歌を聞いていた孔子は、「何を云っているんだ!それはまだ真底惚れていない証拠だ!惚れて通えば千里も一里と云うではないか。何の遠いことなどあろうか!」と云った。

【解説】
孔子は、道徳の干物でも倫理の化石でもありません。
この章は大した意味はありませんが、孔子の人間通を知ってもらうために入れてみました。
ちゃんと、男女の機微にも通じた人だったんですね。

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