堯日第二十

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 【200】
()(のたま)わく、(めい)()らざれば、(もっ)君子(くんし)たること()きなり。(れい)()らざれば、(もっ)()つこと()きなり。(げん)()らざれば、(もっ)(ひと)()ること()きなり。

【通釈】
孔子云う、「天命(天が与えた使命)を知らなければ、君子(真のリーダー)とは云えまい。礼儀・礼節を知らなければ、人の上に立つことはできまい。言葉の深い意味を知らなければ、真に人間を理解することはできまい」と。

【解説】
「知命」・「知礼」・「知言」、これが論語全篇の最終章・結語です。

孔子教学とは「君子の学」・「リーダーシップの学」と云って良いかと思いますが、学而第一の1番「子日わく‥‥人知らずして慍みず、亦君子ならずや」に始まり、煎じ詰めれば君子とはこうだ!と堯日第二十の最終章で結んで論語全篇を締め括っている。
確かに論語は雑纂(ざっさん)ですが、最初と最後については編者達も、ものすごく気を遣っている。論語は起承転結が整った読み物となってはいないけれども、起と結をきちんと対応させて結んでいます。
そもそも論語の最初の編纂が、いつ誰の手によって成されたものか、何も記録が残っておりませんから推測するしかありませんが、恐らく孔子の孫の子思の弟子筋が中心メンバーとなって、子思を編纂委員長に祭り上げ、子貢の門・子夏の門・子游の門・曽子の門・子張の門の門人達に呼び掛けて始まったのではないかと思います。
本当は「子思曰く云々」なるものも沢山あったのではないかと思われますが、子思自身編纂委員長と云うこともあり、「これは祖父の言行を残すものであるから、私の所は全部カットせよ!」となって「子思曰く‥‥」は一つも残らないことになった。
子思は「中庸」書を著すほどの大人物ですから、「子思曰く‥‥」があったら面白いことを語ってくれたのでは?と思うのですが、残念です。
論語の伝本には古来「魯論」・「斉論」・「古論」の三種があって、現在のスタイルに一本化されたのは後漢(一世紀)になってからと云われます。
日本へは、応神天皇の十六年・西暦285年に百済の王仁(わに)博士によって「論語十巻」と「千字文」が伝えられました。
つまり、日本人は「千字文」によって漢字の読み書きを覚え、「論語」によって漢文の読解力を養った訳ですね。
漢訳の仏典が日本に伝えられるのはそれから300年以上経ってからですから、日本の仏教はそもそも儒教のフィルターを通したような恰好になっている。面白いもんですね、だから漢訳仏教がスーッと日本人に浸透したのでしょう。
日本人が漢字・漢文を覚えてから1700年以上経ちますから、漢字・漢文は既に日本人の母語になっていると云って良いのではないでしょうか。
それにしても、最初に入って来たのが「論語」で良かったですよね!
「荀子」や「韓非子」でなくて。あれは性悪説・人間不信の哲学だからねえ。
 

「了」

 2012年3月7日 11:00am

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