学而第一 004

上へ


原文                          作成日 2003年(平成15年)3月から 4月
子曰、吾日三省吾身。人謀而不忠乎。與朋友交言而不信乎、不習乎。
 
〔 読み下し 〕
(そう)()()わく、(われ)()()()(さん)(せい)す。(ひと)(ため)(はか)りて(ちゅう)ならざるか、朋友(ほうゆう)(まじわ)りて(しん)ならざるか、習(なら)わざるを(つた)うるか。
 
〔 通釈 〕
曽子(孔子の弟子の曽参(そうしん))云う、「私は毎日幾度となく自分の身(しん・行ない)、口(く・言葉)、意(い・思い)について反省する。喩えば、人の為にと思いながら、私心がなかっただろうか(意)?友人との交際で、信頼を裏切るような行為がなかっただろうか(身)?良く知りもしないくせに、知ったかぶりしていい加減なことを人に伝えなかっただろうか(口)?」と。
 
〔 解説 〕
曽子とは曽参のこと。孔子の息子の鯉伯魚(りはくぎょ)が早死にした為、鯉の子即ち孔子の孫の伋(きゅう・子思(しし))を預かって訓育に務めた、立派な人物です。 「孝経(こうきょう)」という書物を残しております。又、曽子の訓育を受けた子思は「中庸(ちゅうよう)」という書物を 著わしました。

京セラの創業者・稲盛和夫さんは、新しい仕事を始めるに当って、必ず「動機は善なりや、 私心なかりしか!?」(その仕事は真に世の為人の為になることか?私利私欲の為ではないの!?)」と、何度も自問自答を繰り返して、私心のないことを確信してからニュービジネスに取り組んだと云います。私心があると、目先の利益に目が眩んでしまって、大したことが できなくなってしまうんですね。

儒教は、「自省自戒の学」或は「反省の学」とも云われておりますが、どうして自己を省(かえり)みる・反省をそんなに重要視したのでしょうか?

皆さんは、「自分のことは自分が一番良く知っている」と思ってはいませんか?残念ながら それは錯覚です。本当は、自分のことを一番知らないのが自分自身なんです。昔から、 「人を知る者は智なり。自らを知る者は明なり(人のことを知るのは智者に過ぎないが、自分 自身のことを真に知る者こそ聡明な人である)」と云って、自分のことを知るというのは、本当に難しいことなのです。

そうですね、どれだけ自分のことを知らないか?分かり易い喩えで申しますと・・・、録音された自分の声を後で再生して聴いてみて、「アレッ?自分はこんな声をしていたのか!? こんなに訛(なま)っていたのか!?」と、びっくりしたことはありませんか?或は、録画された 自分のビデオを見て、「ドキッ!自分はこんな歩き方をしていたのか!?こんなおかしな癖があったのか!?」と、照れ臭くなったことはありませんか?どうですか?

自分の一部である声やしぐさでさえ、良く知らなかったでしょう。知らないまま、毎日人と接していたんでしょう?自分は知らないけれども、人はちゃんと見て知っている訳です、あなたの事を。ですから、「自分のことは自分が一番良く知っている!」などと、生意気な口は利(き)けんのですね。1日24時間、あなたが意識的か無意識的かを問わず、云った事・行った事のみならず、思ったことまで総てを特殊なビデオで隠し撮りして、後で再生してみるようなもので すよ、反省とは。

こっそりと云ったこと・行ったことですら、見せられたら恥ずかしいのに、思ったことも総て映像になって映し出されたら、一体どうしますか?「こんちくしょう、殺してやりたい!」と一瞬思っただけなのに、特殊ビデオの映像では、実際にあなたが相手の首を絞めて殺そうとしている。どうですか?ゾーッとするでしょう?ヤバイとおもうでしょう?ヤバイことは止めておこうとなるでしょう。

逆に、言葉や行動で実際に相手を傷つけてしまったけれど、後で「悪いことをしてしまった。あそこまでやる必要はなかった。申し訳ない!ごめんなさい!!」と。心の底から詫びたとしましょう。特殊ビデオの映像では、相手が許してくれてニコニコ顔で互いに握手している。 どうですか?ホッとするでしょう?

もっと素直で謙虚になろうと思うでしょう。 実際には24時間・365日・一生涯を特殊ビデオで 撮り続ける訳には行きませんが、この特殊ビデオに相当するものがあなたの「心」なんですね。 細大漏らさず総てを記憶している訳です。あなたの心がね。 ビデオは再生して修正しますが、心は反省して改過(過ちを改める)する訳です。スポーツ 選手が自分のビデオを見て、フォームを矯正するようなものですね、反省→改過というのは。

自分で自分を客観視するには、反省してみるより他に、方法はないんですね。第三者の目で 自分を見つめてみなければ、本当の所は分からないものなんです。良いところも悪いところも。 だから儒教は、反省を重要視する訳です。儒教は、「修己治人(しゅうこちじん・自己を修めて人を治める)」というのが眼目(がんもく・肝腎要(かんじんかなめ))ですから。
 
〔 一言メッセージ 〕
『ビデオ感覚で振り返ってみよう。今日一日、思ったこと・云ったこと・行った
   ことを』
 
〔 子供論語  意訳 〕
(そう)先生(せんせい)()った。(わたし)毎日(まいにち)三つのことを反省(はんせい)する。

   一は、(ひと)のために(なに)()いことをしただろうか?
  
は、友達(ともだち)にいじ(わる)なことをしなかっただろうか?
   三は、まだ()()らないのに、()ったかぶりして
               おしゃべりをしなかっただろうか?
 
〔 親御さんへ 〕

人間でも動物でも、なんらかの行動を起すには、その根本的な原因である「動機」というものがあります。人間と動物の決定的な違いは、人間は、動機そのものの善し悪しを問うことの できる生きものである、ということではないでしょうか。

京セラの創業者・稲盛和夫さんは、新しいビジネスに取り組む際には、必ず「動機は善なりや?私心なかりしか!?」と自問自答を繰り返して、私心無し!と確認してから仕事に取り 組んだと云います。

「自分さえ良ければ」というのを『私(わたくし)主義』、「今さえ良ければ」というのを『今時(いまどき)主義』と云うのだそうですが、人間は刺激に反応するだけのパブロフの犬ではありませんから、時には稲盛さんの言葉をお借りして、「動機は善なりや?邪心(じゃしん・よこしまな こころ)なかりしか!?」と、自らに問うてみることも必要なのではないでしょうか。

お子様が学校から帰ったら、「今日学校で何があった?」と、必ず聴いてあげて下さい。 「あんなこと、こんなこと」と、色々話してくれますから。次には、「それであなたはどう思ったの?」と、再度問うてみて下さい。「ああ思った、こう思った」と、答えてくれます。この時、絶対に注意したり口を挟んだりしてはいけません。思ったままを自由に語らせて下さい。顔の表情も変えてはいけません。柔和な表情を守って下さい。ウンウンと、聴き役に徹するのです。 子供が一通り話し終えたと思ったら、「良いと思ったことは素直に実行しようね!ありがとう!」と云っておしまいにして下さい。

どうして話の途中で口を挟んだり、注意してはいけないのか?顔の表情を変えてはいけないのか?と申しますと、子供も馬鹿ではありませんから、注意されたり嫌な表情をされますと、 本人が思ってもいないのに、親の喜びそうな模範回答を用意して来るからです。本音を云わなくなります。これでは上手に嘘をつく訓練を施しているようなものですから、却って逆効果になります。思ったまま感じたままを、正直に自由に語らせて、「良いと思ったことは素直に実行しようね!」と云い続けていれば、必ずまともな人間に育ちます、安心して下さい。


言葉づかいや行ないを正すには、ビシッと叱れば直りますが、思いを正すのは叱っても直りません。ゲンコツでも直りません。心は生れつき本人の自由に任されておりますから。こと心に関しては、子供と雖も、他人の力でどうこうすることはできないんですね。本人が自覚できるように、良きキッカケを与えてやることしかできないのです。
 

学而第一 003 学而第一 004 学而第一 005
新論語トップへ