為政第二 027

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原文                   作成日 2003年(平成15年)5月から7月
子曰、温故而知新、可以師矣。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(ふる)きを(たず)ねて(あたら)しきを()る、(もっ)()()るべし。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「古いこと(古典や歴史)を学んで、そこから現代に通用する新しい意義を見出すことができれば、立派な指導者になれるだろう」と。
 
〔 解説 〕

<序>の『論語開眼』でも述べましたが、論語の魅力を一言集約してみるならば、「あなた次第あなた任せの書」・「強く叩けば強く鳴り、弱く叩けば弱く鳴る。深く叩けば深く鳴り、浅く叩けば浅く鳴る」という所にあると云えるでしょう。

前回の講義(011章)で、『古くて古いだけのものは滅ぶ。新しくて新しいだけのものも亦滅ぶ。古くて常に新しいものこそが栄える』と申しましたが、「温故知新」とはそういうことだと考えてもらって宜しいかと思います。


訓詁学(字句の解釈を専らとする学問)や考証学(時代証拠に基づいて考える実証的な学問)も大切ですが、それに偏り過ぎると、古典特に「論語」のような書物は、ちっとも面白くありません。

2500年前の孔子の言葉を、現代の自分の身に置き換えて考えてみるからこそ、そこに新しい意義が発見できる、つまり、為になって役に立つ「活学」となるのでありまして、受験勉強のように正確に文章を覚えて知識を増やすだけであったら、為にはなるが役には立たない「死学」になってしまいます。

今度論語を読まれる時は、差向いに孔子が座っている、対座していると思って読んでみたらいかがでしょうか。今迄とは一味違った「論語」を楽しめるかも知れませんよ。
 

〔 一言メッセージ 〕
『古いものを骨董品(観賞物)にするか、精神遺産(教訓)にするかは
 あなた次第』
 
〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「神話(しんわ)歴史(れきし)(まな)ぶことは大切(たいせつ)だ。そこには人間(にんげん)がより()立派(りっぱ)()きる(ため)知恵(ちえ)がぎっしりと()まっているからね。ただ(むかし)は、新幹線(しんかんせん)飛行機(ひこうき)携帯(けいたい)電話(でんわ)もインターネットもなかったから、(いま)から(くら)べるとちょっと不便(ふべん)だったけれど、 それでも人間(にんげん)堂々(どうどう)として立派(りっぱ)()きていたんだよ。(ひと)(こころ)(むかし)(いま)(かわ)らないから、神話(しんわ)歴史(れきし)(なか)にきっと(なに)(あたら)しい(はっ)(けん)があるよ」と。
 
〔 親御さんへ 〕

論語を読んでいて一番驚かされることは、2500年前も今も、人間の精神構造は少しも変っていないのではなかろうか?少しも進化していないのではなかろうか!?ということです。

孔子とほぼ同じ時代に、インドには釈迦、ギリシアにはソクラテスとプラトンが居りましたが、「スッタニパータ」や「対話編」を読んでみましても、人間の精神文明は少しも進化していないのではなかろうか!?、物質文明は確かに進化したようだけれども、精神文明はむしろ退化しているのではないだろうか!?と思わされます。

何故かと申しますと、釈迦や孔子が現代に生まれ変って、当時と同じことを説いたとしても
(勿論現代語で)、立派に通用する、否、今でも人類の師表たるに相応しい高遠な内容だからですね。

2500年も経てば、人類は釈迦や孔子の教えをとっくにマスターしていなければならんと思うのですが、2500年もの間、私達人間は一体全体何をして来たのでしょうか!?
物欲に振り回され、利己主義に走り、生存競争に明け暮れている21世紀の人類を孔子が見たら、「お前達は一体いつまで寝呆けているんだ!好い加減に目を覚ませ!!」と一喝されるのではないでしょうか?2500年前と何も変わっていないのですから。
 

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