為政第二 033

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原文                  作成日 2003年(平成15年)5月から7月
子曰、由、誨女知之乎。知之知之、不知不知。是知也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(ゆう)(なんじ)(これ)()るを(おし)えんか。(これ)()るを(これ)()ると()し、()らざるを()らずと()す。()()るなり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「由(弟子の子路の名)よ、お前に知るとはどういうことか教えようか。知っていることは知っているとし、知らないことは知らないとはっきりさせる。これが本当に知るということだ」と。
 
〔 解説 〕

由とは弟子の子路のことで、政治に優れた孔門十哲の一人です。子路は即断即決で一本気な性格の人物ですが、多少雑駁なところもあったようで、しょっちゅう孔子に叱られております。孔子と年齢が近かったせいか(孔子の9才下)、孔子に対してずけずけとものを云ったり、口答えをしたりしておりますが、こんなことができたのは、孔門広しと雖もこの人だけだったようです。

孔子は子路に仕官の口をあれこれ紹介しますが、すぐに師の元に帰って来ては、孔子の側に居たようです。師を守るのは自分だ!という自負があったのでしょう。

孔子は子路の一本気なところが気に入っておりましたが、その反面、それが元で「こいつは畳の上では死ねないな」と、論語の中で語っている。心配した通り、子路は仕官先の衛で紛争に巻き込まれ、主君に忠義を尽くした為に、斬り殺されてしまいます(孔子よりも先に死んでしまった)。

さて、その子路に対して孔子は、「知っていることは知っている、知らないことは知らないと
はっきりさせること!これがものを知ることだ」と、まるでソクラテスの問答のようなことを云っている訳ですが、それ程複雑な思考回路を持っているとも思われない子路に対して、孔子がいきなりこのような哲学問答をするとは思えません。この言葉が発せられた背景には、一体どのようなことがあったのでしょうか?

これは全くに私の臆断ですが、先進第十一で子路が神霊に事(つか)える道や死後の世界のことを問うた際、孔子が「まだ人に充分に仕えることも出来ないのに、どうして神霊に仕えることができようか。生きることも良く分からないのに、どうして死後のことが分かろうか」と、明確な答え方をしなかった為、子路は、「先生、はぐらかさないでちゃんと答えて下さい。巷では、神霊や死後の世界の話題で持ちきりですよ!」とかなんとか云ったのではないでしょうか。

恐らく当時も、今でいう所の超能力や心霊現象のようなオカルトブームがあったのでしょう。述而第七でも子路は、孔子の病気が重くなった際に「祈祷をさせて欲しい」と申し出て孔子に断られておりますから、どうもオカルト好きの傾向があったようですね。

そこで孔子は、子路がおかしなことに興味を持って道を踏み外すことのないよう、「世の中には、人知では極めようにも極めきれない不可知の領域があるものだ。神霊や死後の世界は信仰の対象であって、学問の対象ではない。知り得るものと知り得ないものとを弁別し、知り得るものを深く探求する。これが学問の道である!」という思いがあって、この章の言葉が発せられたのではないかと思います。

孔子は大変に理性的な人で、真の意味での合理主義者でしたから、カントと一脈通じる所があったのかも知れません。
 

〔 一言メッセージ 〕
『自分の無知を知ることこそが、真実の知への扉を開く』
 
〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(ゆう)や(弟子(でし)()()())、今日(きょう)はひとつお(まえ)(あたま)()くなる(はなし)をしてあげよう。()っていることは()っている、()らないことは知らないと正直(しょうじき)(ひと)()うことだ。()っているのに()らん()りをすれば、(ひと)一所懸命(いっしょけんめい)(おし)えてあげようとして時間(じかん)無駄(むだ)(しょう)じるし、()らないのに()ったか()りをすれば、(おし)えてもらうチャンスを(うしな)ってしまう。一方(いっぽう)では時間(じかん)無駄(むだ)(しょう)じ、一方(いっぽう)では()るチャンスを(うしな)う。これではいつまで()っても(あたま)()くならない。だから、()っていることは()っている、()らないことは()らないと正直(しょうじき)(ひと)云う()ことだ。どうだ、簡単(かんたん)だろう?」と。
 
〔 親御さんへ 〕

フランシス・ベーコンの言葉に「知は力なり」というものがあります。ベーコンの云う「知の力」とは、演繹法(えんえきほう・推論)によらず帰納法(きのうほう・実験や経験)に基づいて確かめられた「因果関係」をいうようですが、孔子は次章で、「多くを聞いて疑わしいものを取り除き、多くを見て危なっかしいのを取り除けば、言行を人から咎められることもなく、又、後悔することもないだろう」と、弟子に語っておりますし、季氏第十六で、「疑わしい時には、遠慮せず問い質しなさい」と述べておりますから、「知は力なり」を身を以て体現していた人だったようですね。
 

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