041 |
孔子、季氏を謂う、八佾庭に舞わしむ。是をも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶべからざらんや。 |
042 |
三家者、雍を以て徹す。子曰わく、相くるは維れ辟公、天子穆穆たりと。奚ぞ三家の堂に取らん。 |
043 |
子曰わく、人にして仁ならずんば、礼を如何にせん。人にして仁ならずんば、楽を如何にせん。 |
044 |
林放礼の本を問う。子曰わく、大いなるかな問や。礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪はその易らんよりは寧ろ戚めよ。 |
045 |
子曰わく、夷狄の君有るは、諸夏の亡きが如くならざるなり。 |
046 |
季氏泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰わく、女救うこと能わざるか。対えて曰わく、能わず。子曰わく、鳴呼、曽ち泰山を林放にも如かずと謂えるか。 |
047 |
子曰わく、君子は争う所無し。必ずや射か。揖譲して升り下り、而して飲ましむ。其の争や君子なり。 |
048 |
子夏問うて曰わく、巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは何の謂いぞや。子曰わく、絵の事は素きを後にす。曰わく、礼は後か。子曰わく、予を起す者は商なり。始めて与に詩を言うべきのみ。 |
049 |
子曰わく、夏の礼は吾能く之を言えども、杞は徴とするに足らざるなり。殷の礼は吾能く之を言えども、宋は徴とするに足らざるなり。文献足らざるが故なり。足らば則ち吾能く之を徴とせん。 |
050 |
子曰わく、禘、既に灌してより往は、吾之を観ることを欲せず。 |
051 |
或るひと禘の説を問う。子曰わく、知らざるなり。其の説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示るが如きかと。其の掌を指す。 |
052 |
祭ること在すが如くし、神を祭ること神在すが如くす。子曰わく、吾祭に與らざれば、祭らざるが如し。 |
053 |
王孫賈問うて曰わく、其の奥に媚びんよりは、寧ろ竈に媚びよとは、何の謂いぞや。子曰わく、然らず。罪を天に獲れば、祷る所無きなり。 |
054 |
子日わく、周は二代に監みて郁郁乎として文なる哉。吾は周に従わん。 |
055 |
子、太廟に入りて、事毎に問う。或るひと日わく、孰か鄹人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。子、之を聞きて日わく、是れ礼なり。 |
056 |
子日わく、射は皮を主とせず。力、科を同じくせざるが為なり。古の道なり。 |
057 |
子貢、告朔の饋羊を去らんと欲す。子日わく、賜や、女は其の羊を愛む。我は其の礼を愛む。 |
058 |
子日わく、君に事うるに礼を尽せば、人以て諂えりと為すなり。 |
059 |
定公問う、君、臣を使い、臣、君に事うること、之を如何にせん。孔子対えて日わく、君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。 |
060 |
子日わく、關雎は楽しみて淫せず、哀しみて傷らず。 |
061 |
哀公、社を宰我に問う。宰我対えて曰わく、夏后氏は松を以てし、殷人は柏を以てし、周人は栗を以てす。曰わく、民を戦栗せしむるなり。子之を聞きて曰わく、成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず。 |
062 |
子日わく、管仲の器は小なるかな。或るひと曰わく、管仲は倹なるか。曰わく、管氏に三帰あり、官の事は攝ねず、焉んぞ倹なるを得ん。然らば則ち管仲は礼を知るか。曰わく、邦君樹して門を塞ぐ、管氏も亦樹して門を塞ぐ。邦君両君の好を為すに、反拈あり、管氏も亦反拈あり。管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。 |
063 |
子、魯の大師に楽を語りて日わく、楽は其れ知るべきなり。始めて作すに翕如たり。之を従ちて純如たり、t如たり、繹如たり。以て成る。 |
064 |
儀の封人見えんことを請う。日わく、君子の斬に至るや、吾未だ嘗て見えること得ずんばあらざるなり。従者之を見えしむ。出でて日わく、二三子、何ぞ喪うことを患えんや。天下の道無きや久し。天将に夫子を以て木鐸と為さんとす。 |
065 |
子、韶を謂わく、美を尽せり、又善を尽せり。武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽さざるなり。 |
066 |
子日わく、上に居りて寛ならず、礼を為して敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、吾何を以てか之を観んや。 |