述而第七 151

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子曰、述而不作、信而好古。竊比於我老彭。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、()べて(つく)らず、(しん)じて(いにしえ)(この)む。(ひそ)()老彭(ろうほう)()す。
 
〔 通釈 〕

孔子云う、「私は古来から伝わる先王の道を祖述するだけであって、新説を創作しているのではない。いかに古いことであろうとも、正しいものは正しいと信じ、好んで顕彰しようと心掛けている。その昔殷の賢大夫の老彭はこのような人物だったと云われるが、私も密かに彼にあやかりたいと思っているのだ」と。
 

〔 解説 〕

「歴史は例証からなる科学である」と云われますが、歴史が科学であるというからには、そこに何らかの必然性・原因結果の法則が働くということでしょう。歴史学者の故会田雄次先生は、生前大変興味深いことを語っておられます。曰く、「半世紀以上歴史を研究して来て分かったことは、歴史とはその95%以上が必然性を持っているという事実である。偶然としか思われないものは5%以下に過ぎない」と。

固有の歴史や伝統文化を重んじ、時代を超えて正しいことは正しいと信じて保ち守ることを「保守」と申しますが、保守とは換言すれば、孔子の云う「信じて古を好む」ことである!と云えるでしょう。古くて古いだけのものはダメですし、新しくて新しいだけのものもダメ。古くて新しいもの、つまり「温故知新」程確かなものはありませんからね。

尚、史記孔子世家には、孔子は「詩(詩経)」を削り、「書(書経)」を伝え、「周易(易経)」を整え、「周礼(礼記)」を正し、「春秋」を作ったと記されておりまして、朱子はこれについて、「夫子はけだし群聖の大成を集めて之を折衷す。其の事は述ぶと雖も、而も功は作に倍す。これ亦
知らざるべからざるなり」と、孔子の温故知新を顕彰しております。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(ふる)くから(つた)わる仕来(しき)たりや風習(ふうしゅう)には、みなそれぞれ(ふか)意味(いみ)があって、表面(ひょうめん)だけ()時代(じだい)(おく)れだ!迷信(めいしん)だ!と()()けることはできない。たとえ(ふる)くても、現代(げんだい)でも立派(りっぱ)通用(つうよう)することはいくらでもある。()伝統(でんとう)はしっかりと()()いで、後輩(こうはい)(たち)(つた)えて()きなさい!」と。
 
〔 親御さんへ 〕

弥彦神社の茶店で名物のところてんを注文すると、箸が一本しか出て来ません。どんないわれがあるのか聞いてみますと、大昔飢饉があって民衆が飢えに苦しんでいた時、神様が天草(てんぐさ)を持って海から現れ、ところてんを作って民衆を飢えから救ってくれた。ありがたいやらもったいないやら、このご恩を忘れない為に、弥彦ではところてんには箸一本と昔から決っているとのこと。

いつ頃の話しか聞いてみますと、1500年程前のことだとの返事。地元の風習に倣って一本箸で食べてみましたが、やはり食べにくい。「無理しなくてもいいですよ!」と云って、もう一本出してくれましたが、「いや、ここの仕来たりに従います」と、痩せ我慢して食べました。

たまにはこういうのもあっていいでしょう。便利で有り余る社会にいると、「ありがたい」・
「もったいない」ということを忘れてしまいますからね。たまには、不便で不足した環境に身を置くのも、正気を取り戻す良い薬になるのではないでしょうか
 

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