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原文
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作成日 2004年(平成16年)7月から11月 |
子曰、述而不作、信而好古。竊比於我老彭。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、述べて作らず、信じて古を好む。竊に我が老彭に比す。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「私は古来から伝わる先王の道を祖述するだけであって、新説を創作しているのではない。いかに古いことであろうとも、正しいものは正しいと信じ、好んで顕彰しようと心掛けている。その昔殷の賢大夫の老彭はこのような人物だったと云われるが、私も密かに彼にあやかりたいと思っているのだ」と。
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〔 解説 〕 |
「歴史は例証からなる科学である」と云われますが、歴史が科学であるというからには、そこに何らかの必然性・原因結果の法則が働くということでしょう。歴史学者の故会田雄次先生は、生前大変興味深いことを語っておられます。曰く、「半世紀以上歴史を研究して来て分かったことは、歴史とはその95%以上が必然性を持っているという事実である。偶然としか思われないものは5%以下に過ぎない」と。
固有の歴史や伝統文化を重んじ、時代を超えて正しいことは正しいと信じて保ち守ることを「保守」と申しますが、保守とは換言すれば、孔子の云う「信じて古を好む」ことである!と云えるでしょう。古くて古いだけのものはダメですし、新しくて新しいだけのものもダメ。古くて新しいもの、つまり「温故知新」程確かなものはありませんからね。
尚、史記孔子世家には、孔子は「詩(詩経)」を削り、「書(書経)」を伝え、「周易(易経)」を整え、「周礼(礼記)」を正し、「春秋」を作ったと記されておりまして、朱子はこれについて、「夫子はけだし群聖の大成を集めて之を折衷す。其の事は述ぶと雖も、而も功は作に倍す。これ亦知らざるべからざるなり」と、孔子の温故知新を顕彰しております。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「古くから伝わる仕来たりや風習には、みなそれぞれ深い意味があって、表面だけ見て時代遅れだ!迷信だ!と決め付けることはできない。たとえ古くても、現代でも立派に通用することはいくらでもある。良き伝統はしっかりと受け継いで、後輩達に伝えて行きなさい!」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
弥彦神社の茶店で名物のところてんを注文すると、箸が一本しか出て来ません。どんないわれがあるのか聞いてみますと、大昔飢饉があって民衆が飢えに苦しんでいた時、神様が天草(てんぐさ)を持って海から現れ、ところてんを作って民衆を飢えから救ってくれた。ありがたいやらもったいないやら、このご恩を忘れない為に、弥彦ではところてんには箸一本と昔から決っているとのこと。
いつ頃の話しか聞いてみますと、1500年程前のことだとの返事。地元の風習に倣って一本箸で食べてみましたが、やはり食べにくい。「無理しなくてもいいですよ!」と云って、もう一本出してくれましたが、「いや、ここの仕来たりに従います」と、痩せ我慢して食べました。
たまにはこういうのもあっていいでしょう。便利で有り余る社会にいると、「ありがたい」・「もったいない」ということを忘れてしまいますからね。たまには、不便で不足した環境に身を置くのも、正気を取り戻す良い薬になるのではないでしょうか
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