述而第七 163

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原文                 作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子在齊聞韶。三月不知肉味。曰、不圖爲樂之至於斯也。
 
〔 読み下し 〕
()(せい)()りて(しょう)()く。三月(さんがつ)(にく)(あじ)()らず。(のたま)わく、(はか)らざりき、(がく)()すことの(ここ)(いた)らんとは。
 
〔 通釈 〕
孔子が斉に滞在していた時、韶の音楽を聞いて三ヶ月これを学んだ。その間韶の音楽のあまりの美しさに感激して、肉を食べてもその味が分からない程度であった。そして「う〜む!音楽がこれほど迄に美しいものであるとは、思いもよらなかった!!」と云った。
 
〔 解説 〕

孔子35才頃の出来事。韶とは、聖天子舜の人徳を称えて作曲された管弦楽曲。八佾第三では、「美を尽くせり、又善を尽くせり」と評しております。一体どんな曲だったのか聞いてみたい所ですが、残念ながら伝わっておりません。モーツァルトの華麗さと、ハイドンの軽快さと、マーラーの玄妙さと、ヘンデルの優雅さと、バッハの荘重さを併せもったような曲だったのかも知れませんね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)(せい)(くに)におられた(とき)(しょう)という交響曲(こうきょうきょく)()いて感激(かんげき)し、三ヶ月間(さんかげつかん)これを(まな)んだが、この(かん)一心不乱(いっしんふらん)()()んで、(なに)()べても(あじ)()からないほどであった。そして一応(いちおう)マスターすると、「う〜む!音楽(おんがく)がこれほど(うつく)しく作曲(さっきょく)できるとは()らなかったよ」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕

韶とは、聖天子舜の音楽とされ、帝舜といえば四千年以上前の人物ですが、揚子江流域ではこの頃既に陶器が使用されていたと云いますから、かなり高い文化を持っていたようです。韶は管弦楽曲で、多くの楽器を使いますから、それらを作る技術もあったのでしょう。
 

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