述而第七 166

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子曰、加我數年、五十以學易、可以無大過矣。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(われ)数年(すうねん)(くわ)え、五十(ごじゅう)にして(もっ)(えき)(まな)べは、(もっ)大過(たいか)()かるべし。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「あと四〜五年して、五十になってから今一度じっくり易経を学び直せば、きっと悟るところがあって、その後の人生はやり過ぎて大きな失敗をすることもなくなるだろう」と。
 
〔 解説 〕

この章の解釈は諸説入り乱れておりまして、古注では孔子この時45〜6才と云い、新注では晩年の70才としておりますが、十五才にして学に志した孔子が、当時教養人の必読書とされた「易」を、晩年になる迄読まなかったとは考えられません。史記の孔子世家に「晩に易を読みて、韋編三絶す・(孔子は晩年になって、竹簡をつなぎ合わせている革の綴じ紐が何度も切れるほど易を読んだ)」とある為、朱子はこれに従ったものと思われます。

ただ、同じく史記には、孔子晩年に五経を編纂し直し整えたとありますから、当然「周易」も編纂し直した。整理作業を進める際に、易を何度も読み返しながら編纂し直したと考えられますから、革の綴じ紐が切れてしまうことは再三あったと思われる。

易経の説く所は深遠で、孔子と雖も45〜6才では分からない所が結構あったのではないか?それ相当の人生経験を積まないと理解し得ないところがあったのではないか?孔子
自身そう感じていたのではないか!?と思い、孔子この時45〜6才としました。

又、孔子30才の頃、周に遊学した際老子に面会し、「子の驕気と多欲と態色と淫志とを去れ!」と諭されておりまして、孔子の青年期・壮年期は「おれが、おれが!」と血気に
逸(はや)って、人と張り合う所があったのでしょう、季氏第十六で君子の三戒として「少(わか)き時(青年期)は血気未だ定まらず、之を戒しむること色(色欲)に在り。其の壮(さか)んなる及んで(壮年期)、血気方(まさ)に剛(ごう)なり、之を戒しむること闘(たたかい・争いごと)に在り。其の老ゆるに及んでは、血気既に衰う、之を戒しむること得る(地位・名誉・財産)に在り」と述べている。

易の説くところは中庸そのものですから、「四十にして惑わず」とはなったものの、ともするとやり過ぎて、後で反省する場面がしばしばあったのではないでしょうか?その度に「俺もまだまだだな!?」と感じて、この章にある言葉が出たのではないかと思います。尚、ここで云う「大過」とは、大きな過ちの意味にもとれますが、易経「大過の卦」・やり過ぎるの意味合いも含めました。大きな過ちは、往々にしてやり過ぎから生じますからね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(いま)()からないからといって、自分(じぶん)はダメだと()めつけてはいけないよ。しばらくしてから(また)チャレンジしてごらん。なんだ、こういうことだったのか!?とスラスラ()けることがいっぱいある。たとえば、一年生(いちねんせい)(とき)によく()からなかったことが、三年生(さんねんせい)になればスラスラ()けるし、三年生(さんねんせい)(とき)によく()からなかったことでも、六年生(ろくねんせい)になればスラスラ()けることは、君達(きみたち)にもよくあるだろう?だから(いま)()からないからといって()げやりにせず、しばらく()()いてから(また)挑戦(ちょうせん)してみなさい。()()してしまえば(いっ)(しょう)()からないままで()わるし、何度(なんど)でも挑戦(ちょうせん)してみれば(かなら)()かるようになる。あせらず・あわてず・あきらめず!これが勉強(べんきょう)のコツなんだよ」と。
 
〔 親御さんへ 〕
その時分からなくても、後になって「なんだ、こういうことだったのか!?」と思うことはよくありますね。あることに「どうしてだろう?何故だろう?」と疑問や関心を持ち続けていると、どういう訳かそのことに関する情報が集まって来て、しばらくすると「なるほどそういうことか!?」と、謎が解けることがある。これは不思議です。

「わからない、ダメだ!」と諦めてしまえば、つまり、関心の綱を断ち切ってしまえば、情報は素通りしてしまい、「どうしてだろう?何故だろう?」と、心のどこかで関心を持ち続けていれば、情報が吸い寄せられる。「あせらず・あわてず・あきらめず!」は、スポーツだけでなく、知能の啓発にも有効なようです。
 
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