泰伯第八 207

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原文           作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月
舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人。孔子曰、才難、不其然乎。
唐虞之際、於斯爲盛。有婦人焉。九人而已。三分天下有其二、以服事殷。
周之徳、其可謂至徳也已矣。
 
〔 読み下し 〕
(しゅん)(しん)五人(ごにん)()り、(しこう)して天下(てんか)(おさ)まる。()(おう)()わく、(われ)乱臣(らんしん)十人(じゅうにん)()り。孔子(こうし)(のたま)わく、(さい)(かた)しと、()(しか)らずや。(とう)()(さい)(ここ)(おい)(さかん)()す。婦人(ふじん)()り。九人(きゅうにん)のみ。天下(てんか)三分(さんぶん)して()()(たも)ち、(もっ)(いん)服事(ふくじ)す。(しゅう)(とく)は、()()(とく)()うべきのみ。
 
〔 通釈 〕
舜には下臣が五人いて、それで天下がよく治まっていた。周の武王は、私には国を治めるに足る十人の下臣がいると云った。孔子がこれについて云うに、「人材を得ることは難しいと云うが、誠にその通りだなあ。堯・舜の治めた唐・虞の時代は、周の武王の頃より栄えていたというが、賢臣たった五人でよく治まっていたと云う。周の武王の賢臣十人の内訳は、婦人一人と男性九人に過ぎないが、天下の三分の二保有しながら、それでも殷に対して臣下の礼をとって服従していた。周のこの謙虚さは至徳と云ってよかろう」と。
 
〔 解説 〕

乱臣の乱は、「みだれる」ではなく「おさめる」の意ですが、同じ文字で正反対の意味を持つ語も珍しい。臣五人・・・禹(う)・棄(き)・契(せつ)・皐陶(こうよう)・伯益(はくえき)の五人。禹は治水、棄は農事、契は文教、皐陶は司法、伯益は林業をそれぞれ司った。

乱臣十人・周公旦・召公奭(しょうこうせき)・太公望・畢公(ひつこう)・栄公・太顛(たいてん)・闔妖(こうよう)・散宜生(さんぎせい)・南宮适(なんきゅうかつ)・太似(たいじ)(文王の正妻で武王の母)の十人。

ここで云う人材とは、人望・手腕・先見性を兼ね備えたゼネラリストとしての人材のことで、テクノクラートのことではありません。人望・手腕・先見性を兼ね備えた人材を得る事が難しいのは、いつの時代も変わらないようですね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
(しゅん)(おう)には五人(ごにん)(すぐ)れた家来(けらい)がいて、天下(てんか)がよく(おさ)まっていた。()(おう)は、(わたし)には十人(じゅうにん)(すぐ)れた()(らい)がいるといった。孔子(こうし)(さま)が、「人格(じんかく)能力(のうりょく)もともに()(そな)えた(ひと)(めぐ)()うのは(むずか)しいというが、本当(ほんとう)にその(とお)りだね。(ぎょう)(おう)(しゅん)(おう)(おさ)めた(とう)()時代(じだい)は、()(おう)の治めた(しゅう)時代(じだい)よりも(さか)えていたそうだが、たった五人(ごにん)のスタッフで(くに)運営(うんえい)していたというし、(しゅう)()(おう)時代(じだい)は、女性(じょせい)スタッフ一人(ひとり)男性(だんせい)スタッフ九人(くにん)(けい)十人(じゅうにん)立派(りっぱ)(くに)運営(うんえい)していたという。(しゅう)()(おう)(ちち)(ぶん)(おう)時代(じだい)には(すで)世界(せかい)三分(さんぶん)()所有(しょゆう)していながら、小国(しょうこく)(いん)をもり()てて(けっ)して()()らなかったそうだが、これも立派(りっぱ)なことだね」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕

古代中国で最も栄えていたと云われる堯−舜−禹の時代は今から四千年程前のことですが、遺跡が残っておらず、詳しいことは分かっておりません。五千年前のエジプトもかなり高度な文明を持っていたと云われますから、我々が想像する以上の文明を持っていたのかも知れません。

堯-舜-禹へのバトンタッチは、血統による世襲ではなく、それぞれ部下の中から優れた者を選んで、禅譲により王位継承を行なっている。ローマ帝国でも似たようなことが行なわれています。帝政ローマの時代を通じてローマ文明が本当に栄えていたと思われるのは、1世紀末〜2世紀後半にかけての7〜80年間位のもので、この時の王位継承の仕方が又面白い。

ネルバ→トラヤヌス→ハドリアヌス→アントニウス→マルクスアウレリウス迄の五代は血統によらず、将来見込のありそうな青少年を皇帝の養子に入れて、徹底的に帝王学を施してから跡を継がせている。実子には継がせないという暗黙のコンセンサスがあったようです。この間にローマは栄えに栄えた。

しかし、マルクスアウレリウスが息子のコモンドゥスを溺愛してしまい、実の子(コモンドゥス)に跡を継がせた途端、ローマの衰退が始まっている。血筋にこだわることなく、その地位に相応しい者を選んで継承させた時に栄え、血筋に固執した時に衰退する。古代中国、古代ローマ共通していますね。

この継承の仕方は、我が国の老舗の商家にも見られまして、実の息子に継がせず、奉公人の中から器量のある者を番頭に抜擢し、しばらく様子を見た後、主の眼鏡に叶えば娘の婿に入れて跡目を継がせる。これなども家督相続の一つの智恵ですね。
 

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