子罕第九 210

上へ

 
原文          作成日 2005年(平成17年)3月から6月
逹巷黨人曰、大哉孔子、博學而無所成名。子聞之、謂門弟子曰、吾何執。
執御乎、執射乎。吾執御矣。
 
〔 読み下し 〕
(たっ)巷党(こうとう)(ひと)()わく、(おお)いなるかな孔子(こうし)(ひろ)(まな)びて()()(ところ)()し。()(これ)()き、(もん)弟子(ていし)()いて(のたま)わく、(われ)(なに)をか()らん。(ぎょ)()らんか、(しゃ)()らんか。(われ)(ぎょ)()らん。
 
〔 通釈 〕

達巷という村のある人が孔子を評して、「偉大なものだなあ孔子先生は。博学で何でもござれの方なので、どれの大家か一概に名付けようがない」と云った。これを聞いた孔子が弟子達に向かって、「さて、では何か一つ位は名取りにでもなってみるか。馬術にするか?弓術にするか?取敢えず馬術でもやってみることにするか」と冗談を云った。
 

〔 解説 〕

孔子を道徳の干物か倫理の化石のように勘違いしている人がおりますが、とんでもありません。酒も飲めば歌も歌う。オシャレでもありグルメでもありました。勿論ちゃんとユーモアを解する人でもありました。
 

〔 子供論語  意訳 〕
(たっ)(こう)という(むら)のある(ひと)が、孔子(こうし)(さま)を「(なん)でもござれの大先生(だいせんせい)なので、どの(みち)専門家(せんもんか)紹介(しょうかい)していいのか()からない」といった。これを()いた孔子(こうし)(さま)弟子(でし)(たち)()かって、「(わたし)一応(いちおう)(れい)(がく)(礼儀(れいぎ)作法(さほう)音楽(おんがく))の専門家(せんもんか)ということになっているのだが、(ひと)(なん)でもござれのチンドン()(おも)っているようだ。ならば(ひと)(うま)曲芸(きょくげい)でもやろうか?(ゆみ)曲芸(きょくげい)でもやろうか?とりあえず(うま)曲芸(きょくげい)でもやってみるか」と冗談(じょうだん)をいった。
 
〔 親御さんへ 〕

孔子は満二才の時に父を亡くし、母子家庭で育ちました。更に満十六才で母を亡くしておりますから、若い頃は食わんが為生きんが為に何でもやったのでしょう、後の214章で「吾少(わか)かりしとき賤し。故に鄙事多能なり」と、つまらんことで芸達者になったと述べている。

子罕第九篇には、若い頃苦労した為多芸多能になったいきさつがいくつか紹介されておりますが、孔子は当時の一般の人には何でもござれのマルチ人間に映っていたようで、2500年間も信奉される思想を残す大人物であると気付いていたのは、顔淵と子貢と曽子の三人位のものだったのではないでしょうか!
 

子罕第九 209 子罕第九 210 子罕第九 211
新論語トップへ