郷黨第十 245

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原文                   作成日 2005年(平成17年)7月から9月
執圭、鞠躬如也。如不勝。上如揖、下如授、勃如戰色。足蹜蹜如有循。
享禮有容色。私覿、愉愉如也。
 
〔 読み下し 〕
(けい)()れば、鞠躬(きっきゅう)(じょ)たり。()えざるが(ごと)し。()ぐることは(ゆう)するが(ごと)く、(くだ)すことは(さず)くるが(ごと)く、勃如(ぼつじょ)として(おのの)(いろ)あり。(あし)蹜蹜(しゅくしゅく)(じょ)として(したが)うこと有(あ)り。享礼(きょうれい)には容色(ようしょく)有(あ)り。私覿(してき)には愉愉(ゆゆ)(じょ)たり。
 
〔 通釈 〕

主君の使者として訪問国の君主に拝謁する際には、両手で圭を持ち、身をかがめて畏れ謹むように進む。その際、圭が重くて持つに耐えられないというように持つ。圭を上下に動かす場合は、上は揖礼で両手を組む胸のあたりまで、下は人に物を授ける腰のあたりまでの範囲で止める。緊張した顔色はおののく風であり、足はすり足で小股に歩く。

主君からの贈り物を進呈する際には、いくらか顔色もやわらぎ、私的な土産物を捧げる時は、一層なごやかに愉しそうであった。}
 

〔 解説 〕

圭とは、下臣が君主の代理として他国を訪問する際に、信任の印として君主から授けられる玉のこと。公は九寸、侯は七寸、士は五寸と決まっていたそうで、圭の長さで身分が分かるようになっていたようです。神社の宮司が手にする笏(しゃく)は、圭がルーツなのではないでしょうか? 尚、鞠躬とは「身をかがめて畏まる」の意で、手紙の末尾に記す敬具「敬しんで申す」の代りに使われることもあるようです。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)殿様(とのさま)使(つか)いで外国(がいこく)訪問(ほうもん)する(とき)は、(けい)という20cmくらいの(ぼう)両手(りょうて)()って、深々(ふかぶか)とおじぎをしながら訪問国(ほうもんこく)殿様(とのさま)(まえ)(すす)()る。この棒は、(おも)任務(にんむ)(さず)かっているという(しるし)なので、(かる)くても(おも)そうに()()まりがある。相手(あいて)(はなし)()(とき)は棒を(むね)(たか)さに()げ、自分(じぶん)(はな)(とき)(ぼう)(こし)(たか)さに()げる。退席(たいせき)する(とき)緊張(きんちょう)した面持(おもも)ちですり(あし)(ある)く。(ばん)さん(かい)になるといくらか緊張(きんちょう)もとけ、プライベートなつきあいではぐっとくだけて(たの)しんだ。
 
〔 親御さんへ 〕

孔子が魯公の代理で外国を訪問したという記録は、論語のこの章以外どの史書にも見当りません。論語の編者がありもしないことを書くなどとは、ちょっと考えられませんから、きっと君主の使者として外国を訪問したことがあったのでしょう。どの国を訪れたのかは分かりませんが、かなりの大国を訪問した時の記録ではないかと思われます。斉か衛に行った時のことではないでしょうか?
 

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