郷黨第十 246

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原文                   作成日 2005年(平成17年)7月から9月
君子不以紺緅飾。紅紫不以爲褻服。當暑縝絺綌、必表而出。緇衣羔裘、
素衣麑裘、黄衣狐裘。
褻裘長、短右袂。必有寢衣、長一身有半。
狐貉之厚以居。去喪無所不佩。非帷裳、必殺之。羔裘玄冠不以弔。
吉月、必朝服而朝。齊必有明衣
布也
 
〔 読み下し 〕
君子(くんし)(かん)(しゅう)(もっ)(かざ)らず。(こう)()(もっ)褻服(せっぷく)()さず。(しょ)(あた)りて(ひとえ)絺綌(ちげき)し、(かなら)(ひょう)して()ず。()()には羔裘(こうきゅう)()()には麑裘(げいきゅう)黄衣(こうい)には狐裘(こきゅう)褻裘(せっきゅう)(なが)く、(みぎ)(たもと)(みじか)くす。(かなら)(しん)()()り、(たけ)一身(いっしん)有半(ゆうはん)()(かく)(あつ)(もっ)()る。()(のぞ)いては()びざる(ところ)()し。()(しょう)(あら)ざれば、(かなら)(これ)(さい)す。羔裘(こうきゅう)(げん)(かん)しては(もっ)(ちょう)せず。(きち)(げつ)には、(かなら)(ちょう)(ふく)して(ちょう)す。(ものいみ)すれば(かなら)(めい)()()り、(ぬの)なり。
 
〔 通釈 〕

孔子の服装はどうかと言えば・・・、紺色や赤茶色の布で襟や袖口を縁取りしない。紅や紫の色は普段着に用いない。暑い日は葛糸で織った単衣(ひとえ)の上衣を着用したが、必ず下着を着た。

黒い上衣の裏地には子羊の黒い毛皮、白い上衣の裏地には子鹿の白い毛皮、黄色い上衣の裏地には狐の黄色い毛皮というように、内と外に同系統の色を用いた。普段着る毛皮は長めにゆったりと作り、右の袂を短くした。

寝る時は必ず寝巻を着た。寝巻の丈は身長の1.5倍であった。家に居る時は、狐や貉の毛皮を厚く敷いて坐った。
 
喪に服する時
以外はアクセサリーをつけた。礼服の袴にはひだ付きのものを着用したが、それ以外はひだ無しのものをはいた。黒い毛皮や黒い冠では弔問に行かない。引退後も毎月一日には必ず礼服を着て参内した。祭祀の為に斉戒沐浴した時は、必ず麻布で作った純白の浴衣を着用した。
 

〔 解説 〕

どうですか?孔子のこのセンス!表地と裏地を同系統でまとめたり、アクセサリーをつけたり、ひだ付きひだ無しのスカートを使い分けたり、中々どうしてオシャレでしょう!?

この章の頭に「君子は・・・」とありますから、この当時身分のある人の服装には様々な決まりごとがあったのでしょうが、裏地の制約まではなかったようで、ここは孔子のセンスと云った所でしょう。中国の金持ちは、今でも裏地に金をかけると聞きますが、日本でも本当にオシャレな人は、粋な裏地のものを着ているようですね。粋な人だったんですね、孔子様は。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)服装(ふくそう)はどうであったかというと、こん(いろ)やあずき(いろ)(ぬの)でえりやそでのふち()りをしない。(べに)(いろ)(むらさき)(いろ)はふだん()には(もち)いない。(あつ)()(あさ)のひとえを()る。(くろ)(おもて)裏地(うらじ)には(くろ)()(がわ)(しろ)(おもて)裏地(うらじ)には(しろ)()(がわ)黄色(きいろ)(おもて)裏地(うらじ)には()(いろ)()(がわ)使(つか)った。ふだん()()(がわ)(なが)めに(つく)り、仕事(しごと)がしやすいように(みぎ)のそでを(みじか)くした。()(とき)身長(しんちょう)の1.5(ばい)ある(なが)()(まき)()た。(いえ)にいる(とき)は、(きつね)やむじなの毛皮(けがわ)でできた()ぶとんの(うえ)(すわ)った。葬式(そうしき)()(とき)以外(いがい)はアクセサリーをつけた。仕事(しごと)()(とき)はひだつきのスカートをはき、(いえ)ではひだなしのスカートをはいた。葬式(そうしき)()(とき)は、(くろ)(ふく)(くろ)(ぼう)()をさけた。毎月(まいつき)一日(ついたち)行事(ぎょうじ)には、(かなら)正装(せいそう)して()った。お(まつ)(まえ)(みず)(からだ)(きよ)めたあとは、(あさ)でできた純白(じゅんぱく)のゆかたを()た。孔子(こうし)(さま)はオシャレでセンスもよかった。
 
〔 親御さんへ 〕
結構オシャレでしょう?孔子は。現在日本では喪服は黒となっておりますが、孔子の時代は、吉事には黒、凶事には白を着用したようで、今とは逆ですね。この当時の服装は、今の神主さんが着ているようなものだったのではないかと思います。
 
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