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原文
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作成日 2005年(平成17年)7月から9月 |
君子不以紺緅飾。紅紫不以爲褻服。當暑縝絺綌、必表而出。緇衣羔裘、
素衣麑裘、黄衣狐裘。褻裘長、短右袂。必有寢衣、長一身有半。
狐貉之厚以居。去喪無所不佩。非帷裳、必殺之。羔裘玄冠不以弔。
吉月、必朝服而朝。齊必有明衣、布也。
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〔 読み下し 〕 |
君子は紺緅を以て飾らず。紅紫は以て褻服と為さず。暑に当りて縝の絺綌し、必ず表して出ず。緇衣には羔裘、素衣には麑裘、黄衣には狐裘。褻裘は長く、右の袂を短くす。必ず寝衣有り、長一身有半。狐貉の厚き以て居る。喪を去いては佩びざる所無し。帳裳に非ざれば、必ず之を殺す。羔裘玄冠しては以て弔せず。吉月には、必ず朝服して朝す。斉すれば必ず明衣有り、布なり。
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〔 通釈 〕 |
孔子の服装はどうかと言えば・・・、紺色や赤茶色の布で襟や袖口を縁取りしない。紅や紫の色は普段着に用いない。暑い日は葛糸で織った単衣(ひとえ)の上衣を着用したが、必ず下着を着た。
黒い上衣の裏地には子羊の黒い毛皮、白い上衣の裏地には子鹿の白い毛皮、黄色い上衣の裏地には狐の黄色い毛皮というように、内と外に同系統の色を用いた。普段着る毛皮は長めにゆったりと作り、右の袂を短くした。
寝る時は必ず寝巻を着た。寝巻の丈は身長の1.5倍であった。家に居る時は、狐や貉の毛皮を厚く敷いて坐った。
喪に服する時以外はアクセサリーをつけた。礼服の袴にはひだ付きのものを着用したが、それ以外はひだ無しのものをはいた。黒い毛皮や黒い冠では弔問に行かない。引退後も毎月一日には必ず礼服を着て参内した。祭祀の為に斉戒沐浴した時は、必ず麻布で作った純白の浴衣を着用した。
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〔 解説 〕 |
どうですか?孔子のこのセンス!表地と裏地を同系統でまとめたり、アクセサリーをつけたり、ひだ付きひだ無しのスカートを使い分けたり、中々どうしてオシャレでしょう!?
この章の頭に「君子は・・・」とありますから、この当時身分のある人の服装には様々な決まりごとがあったのでしょうが、裏地の制約まではなかったようで、ここは孔子のセンスと云った所でしょう。中国の金持ちは、今でも裏地に金をかけると聞きますが、日本でも本当にオシャレな人は、粋な裏地のものを着ているようですね。粋な人だったんですね、孔子様は。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様の服装はどうであったかというと、こん色やあずき色の布でえりやそでのふち取りをしない。紅色や紫色はふだん着には用いない。暑い日は麻のひとえを着る。黒い表の裏地には黒い毛皮、白い表の裏地には白い毛皮、黄色い表の裏地には黄色い毛皮を使った。ふだん着る毛皮は長めに作り、仕事がしやすいように右のそでを短くした。寝る時は身長の1.5倍ある長い寝巻を着た。家にいる時は、狐やむじなの毛皮でできた座ぶとんの上に坐った。葬式に行く時以外はアクセサリーをつけた。仕事に行く時はひだつきのスカートをはき、家ではひだなしのスカートをはいた。葬式に行く時は、黒い服や黒い帽子をさけた。毎月一日の行事には、必ず正装して行った。お祭り前に水で体を清めたあとは、麻でできた純白のゆかたを着た。孔子様はオシャレでセンスもよかった。
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〔 親御さんへ 〕 |
結構オシャレでしょう?孔子は。現在日本では喪服は黒となっておりますが、孔子の時代は、吉事には黒、凶事には白を着用したようで、今とは逆ですね。この当時の服装は、今の神主さんが着ているようなものだったのではないかと思います。
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