先進第十一 264

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原文         作成日 2005年(平成17年)10月から12月
子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。
 
〔 読み下し 〕
子曰(しのたま)わく、(われ)(ちん)(さい)(したが)(もの)は、(みな)(もん)(およ)ばざるなり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「陳・蔡の旅に同行した弟子達は、皆仕官したり・故郷に帰ったり・亡くなったりして、今は誰も門下に居なくなった。懐かしいなあ」と。
 
〔 解説 〕

孔子63〜4才の頃の出来事を、晩年に述懐したものでしょう。孔子一行は、楚の昭公に招かれて楚に向かっていた際、陳・蔡の大夫らが共謀の上孔子を楚に行かせまいとして、国境付近で一行を取り囲み糧道を断った。一行は飢えの為病気で倒れる者が続出したが、孔子は野外での講義を続けた。孔子の命を受けた子貢が夜陰に乗じて脱出し、楚の昭公に実状を告げた為、昭公は軍を発してこれを救出し、孔子を楚に迎えた。快男児子路をして「君子も亦窮すること有るか」(衛霊公第15)と云わせしめる程の、大難儀をした旅であったようです。

楽を共にした友はすぐに忘れてしまうものですが、苦を共にした友は終生忘れないもののようです。戦友会などはその好例でしょうか?皆さんも知っている高雄の許さんは、今年で78才になりますが、戦友会には毎年欠かさず日本にやって来る。高雄航空隊の所属でしたからね。ただ、毎年一人二人と亡くなって行くのが寂しいと云っておりました。ああ、許さんはピンピンしていますよ。

昨秋、許さんのライフワークであった「台湾老兵鎮魂碑建立」の記念式典があった為、内藤事務局長と一緒に高雄へ行くつもりにしておったのですが、中越地震でとり止めてしまいましたので、いつ来るんだ?いつ来るんだ?としょっちゅう電話して来ます。「その内行くから」と云っても、「こっちは先が長くないんだから、早く来い!」と聞かないんだね。台湾新幹線開通に合わせて、来年あたり行ってみますかね?内藤さんも「いつ行くんだ?いつ行くんだ?」と気をもんでいますからね。ところで、雅高大丈夫かね?ジェシカだベロニカだエカテリィーナ?だと香港小姐(シャオチェ)にはまっているようだけれど。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)おっしゃった、「十年(じゅうねん)(まえ)(ちん)(さい)一緒(いっしょ)(たび)をした弟子(でし)(たち)は、みんな就職(しゅうしょく)したり・故郷(ふるさと)(かえ)ったり・()くなったりして、(いま)(わたし)のもとには(だれ)もいなくなった。ともに苦労(くろう)した(とも)はなつかしいなあ」と。
 
〔 親御さんへ 〕

嘗て一つの目標に向かって共に汗を流した友と云うのは、いくつになっても懐かしく思い出されるものですが、私に今年34才と31才になる娘がおりまして、二人とも小学生の頃に器楽部に入っておりました。

指導されたのが浅野輝夫という大変に情熱のある先生で、子供達もかなりしごかれたのでしょう、全国コンクールで何度も入賞する程の腕前になりました。娘達の同級生で、プロのチェリストとプロのパイプオルガニストになった子もおります。

その浅野先生が病気で倒れられ、先生を励まそうと昨年母校の上所小学校の体育館で、22年振りにOBが集まって演奏会を行った。この時の模様をビデオに撮って、先生の病床に届けた所から奇跡が起ったようで、一時は回復不能と診断された病気がめきめきと回復し、もう一度かつての教え子達を指揮してみたい!と、その時から歩行訓練や体力増強に務められた。

その噂を聞いた教え子達は、先生の願いを叶えてやれなかったら一生後悔すると思ったのでしょう、今年の春に急遽実行委員を編成し、どういう訳か下の娘が実行委員長になりまして、平成17年10月2日、恩師指揮の下43名のOBによる演奏会が行われました。遠くは沖縄から駈けつけた子もいたそうですが、5〜6回の俄か練習でよくぞここ迄やれるものだ!?と思わせる程の出来栄えでした。

曲目は(1)ロッシーニのウィリアムテル序曲、(2)バッハの小フーガ、(3)チャイコフスキーの白鳥の湖、(4)ヘンデルのアレグロ変奏曲、(5)モンティーのチャルダス、(6)リストのハンガリー狂詩曲、(7)バッハのトッカータとフーガの七曲でしたが、どれも素晴らしく、特に最後のトッカータとフーガが終わった時には、300名近くいた聴衆はみんな泣いていましたね。

その時の模様が、10月3日夕方のTeny「新潟一番」で、10月4日夕方のNHK「ゆうどき
新潟」で、ともに20分間程放映されましたから、ご覧になった方もおられるかも知れません。子供の頃身に付けたものは一生忘れないものなんですね。娘達のお陰で、久しぶりに感動した一日を過ごさせてもらいました。

私も昔、以前お話した日本の宗教音楽の草分け、故奥田耕天先生の下で厳しくしごかれま
したから、子供の誰かが似るものなんですね。子供の頃か若い頃に、何でも良いから一つ位打ち込むものがあってもいいのではないかな?何一つ真剣に打ち込むものがないってのは、寂しいのではないでしょうか?「ノンデ、クッテ、シテ、ネテ、タレテ、ソレデオシマイ」ってのは、ちょっと寂しいよ。
 

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