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原文
〕 作成日 2005年(平成17年)10月から12月 |
顔淵死。門人欲厚葬之。子曰、不可。門人厚葬之。子曰、回也、視予猶父也。予不得視猶子也。非我也。夫二三子也。
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〔 読み下し 〕 |
顔淵死す。門人厚く之を葬らんと欲す。子日わく、不可なり。門人厚く之を葬る。子日わく、回や、予を視ること猶父のごとし。予は視ること猶子のごとくするを得ず。我に非ざるなり。夫の二三子なり。
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〔 通釈 〕 |
顔淵が死んだ。門人達が立派な葬式を出してやりたいと孔子に願い出た。孔子は、「それはいけない!」と云ったが、門人達は孔子の忠告を無視して派手な葬儀を行なった。
これについて孔子は、「回は私のことを実の父親のように慕っておった。ところが私は、息子の鯉の時と同じように、分相応に心のこもった葬儀をしてやることができなかった。これは私のせいではないのだ。あの門人達が勝手にやったことなのだよ」と云った。
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〔 解説 〕 |
孔子は常々「礼は其の奢(おご)らんよりは寧ろ倹せよ。喪はその易(そなわ)らんよりは寧ろ戚(いた)めよ。(礼式は華美にするよりは寧ろ慎ましくやるが良かろう。喪礼の場合も、体裁を整えるよりも寧ろ心から哀悼の誠を捧げるようにしなさい。形式よりも心が大事!)」と教えておりましたから、本当は「何をやっているんだ!」と叱りつけたかったのではないかと思いますが、後の祭りだったようです。
この時葬儀を取り仕切ったのは誰だったのでしょうか?子路や子貢など、旧くからの弟子であれば実名が出て来る筈ですが、「門人厚く之を葬る」と、第三人称を使っている所を見ると、新しく入門した若手の弟子達がやらかしたものかも知れません。孔子も「夫(か)の二三子なり」と名指しせず、第三人称の複数型を用いていますから、どうもまだ名前も良く知らない若手グループがやったようですね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
顔淵が死んだ。門人達は派手な葬式を出したいと孔子様にお願いした。孔子様は「見栄を張る必要はない。つつましく心のこもった葬儀をしなさい!」と忠告したが、門人達はこれを無視して派手な葬儀を行なった。これについて孔子様は「回(顔淵の名)は私を父親のように慕っていた。息子の鯉の時のように、内輪で心のこもった葬式を出してもらいたかっただろうに、すまないことをしてしまった。だがこれは私の意思ではないのだよ。あの若手の連中が勝手にやったことなのだ」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
ひと頃派手な葬儀が流行(はや)りまして、ドライアイスの煙を天上の雲海に見立てて、坊さんの先導で棺桶を祭壇迄運ぶというような、バカな葬式がありました。葬儀一式の費用も右肩上がりでぐんぐん跳ね上がったのですが、バブルがはじけてから、当時の半分位にダウンしたようです。みんな地味葬になりましたしね。
ただ一向に下がらないのが、お布施と戒名料でありまして、知り合いの住職に「もっと合理化して、下げられないのか?」と云いましたら、「とんでもない!檀家の減少でお寺そのものがリストラされているんだ!!」と語気を荒げておりましたから、寺の経営も大変なようです。
坊さん相手に「檀家倍増戦略」なるセミナーでも開いたら、結構受けるかも知れませんね。「呉服五倍、薬九十(くそ)倍、坊主丸儲け」などと云ってはいけません!大変なんだから。
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