先進第十一 273

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原文        作成日 2005年(平成17年)10月から12月
顔淵死。門人欲厚葬之。子曰、不可門人厚葬之子曰、也、視予猶父也。予不得視猶子也。非我也。夫二三子也。
 
〔 読み下し 〕
(がん)(えん)()門人(もんじん)(あつ)(これ)(ほうむ)らんと(ほっ)す。()(のたま)わく、不可(ふか)なり。門人(もんじん)厚く(あつく)(これ)(ほうむ)る。()(のたま)わく、(かい)や、(われ)()ること(なお)(ちち)のごとし。(われ)()ること猶子(なおこ)のごとくするを()ず。(われ)(あら)ざるなり。()二三子(にさんし)なり。
 
〔 通釈 〕
顔淵が死んだ。門人達が立派な葬式を出してやりたいと孔子に願い出た。孔子は、「それはいけない!」と云ったが、門人達は孔子の忠告を無視して派手な葬儀を行なった。

これについて孔子は、「回は私のことを実の父親のように慕っておった。ところが私は、息子の鯉の時と同じように、分相応に心のこもった葬儀をしてやることができなかった。これは私のせいではないのだ。あの門人達が勝手にやったことなのだよ」と云った。
 
〔 解説 〕

孔子は常々「礼は其の奢(おご)らんよりは寧ろ倹せよ。喪はその易(そなわ)らんよりは寧ろ(いた)めよ。(礼式は華美にするよりは寧ろ慎ましくやるが良かろう。喪礼の場合も、体裁を整えるよりも寧ろ心から哀悼の誠を捧げるようにしなさい。形式よりも心が大事!)」と教えておりましたから、本当は「何をやっているんだ!」と叱りつけたかったのではないかと思いますが、後の祭りだったようです。

この時葬儀を取り仕切ったのは誰だったのでしょうか?子路や子貢など、旧くからの弟子で
あれば実名が出て来る筈ですが、「門人厚く之を葬る」と、第三人称を使っている所を見ると、新しく入門した若手の弟子達がやらかしたものかも知れません。孔子も「夫(か)の二三子なり」と名指しせず、第三人称の複数型を用いていますから、どうもまだ名前も良く知らない若手グループがやったようですね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
(がん)(えん)()んだ。門人(もんじん)(たち)派手(はで)葬式(そうしき)()したいと孔子(こうし)(さま)にお(ねが)いした。孔子(こうし)(さま)は「見栄(みえ)()必要(ひつよう)はない。つつましく(こころ)のこもった葬儀(そうぎ)をしなさい!」と忠告(ちゅうこく)したが、門人(もんじん)(たち)はこれを無視(むし)して派手(はで)葬儀(そうぎ)(おこ)なった。これについて孔子(こうし)(さま)は「(かい)((がん)(えん)())(わたし)父親(ちちおや)のように(した)っていた。息子(むすこ)()(とき)のように、内輪(うちわ)(こころ)のこもった葬式(そうしき)()してもらいたかっただろうに、すまないことをしてしまった。だがこれは(わたし)意思(いし)ではないのだよ。あの若手(わかて)連中(れんちゅう)勝手(かって)にやったことなのだ」とおっしゃった。
  
〔 親御さんへ 〕

ひと頃派手な葬儀が流行(はや)りまして、ドライアイスの煙を天上の雲海に見立てて、坊さんの先導で棺桶を祭壇迄運ぶというような、バカな葬式がありました。葬儀一式の費用も右肩上がりでぐんぐん跳ね上がったのですが、バブルがはじけてから、当時の半分位にダウンしたようです。みんな地味葬になりましたしね。

ただ一向に下がらないのが、お布施と戒名料でありまして、知り合いの住職に「もっと合理化して、下げられないのか?」と云いましたら、「とんでもない!檀家の減少でお寺そのものがリストラされているんだ!!」と語気を荒げておりましたから、寺の経営も大変なようです。

坊さん相手に「檀家倍増戦略」なるセミナーでも開いたら、結構受けるかも知れませんね。「呉服五倍、薬九十(くそ)倍、坊主丸儲け」などと云ってはいけません!大変なんだから。
 

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