子路第十三 330

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〔原文〕
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之。孔子曰、
吾黨之直者異於是。
父爲子隱、子爲父隱。直在其中矣。

〔読み下し〕
(しょう)(こう)孔子(こうし)(かた)りて()わく、()(とう)直躬(ちょくきゅう)なる(もの)()り。()(ちち)(ひつじ)(ぬす)みて、()(これ)(しょう)す。孔子(こうし)(のたま)わく、()(とう)(なお)(もの)(これ)(こと)なり。(ちち)()(ため)(かく)し、()(ちち)(ため)(かく)す。(なお)きこと()(うち)()り。

〔通釈〕
葉公が孔子に、「私の町内に正直者の躬さんという者がおりまして、迷い込んで来た羊を父がネコババしたのを見て、証人として訴え出たんですよ」と云った。これに対して孔子は「私の町内の正直者はそういうことはしません。父は子を庇い子は父を庇う。庇い合う精神の中に直き心が宿るものなんだが」と云った。

〔解説〕
「庇い合う精神の中に直き心が宿る?」、これは一体どういうことでしょうか?善いことは善い! 悪いことは悪い!と、はっきりさせるのが正直者ではないのか?身内だから友人だからと云って庇ったり隠したりするのは、嘘つきではないのか?他人の羊をネコババするのは窃盗罪ではないのか?それを訴えて何が悪い!?こう思っても間違いではありませんが、短慮、ちょっと大人げないですね。

訴え出る前にやるべきことがあるでしょう?「返して来い!」と説得するか、父親に説教できないならば、本人の留守の隙にこっそり返して来るか。父が帰って来て、「あの羊はどこへ行った?」となったら、「サア、逃げたんじゃないかな?」と、とぼけたっていい。説得もしない、やるべきこともやらないというのは、見て見ぬふりをしているのと同じでしょう。見て見ぬふりをしておきながら、いきなり身内を告発するなどと云うのは、卑怯者のすることでしょう!?

「利の元は義、義の根は仁」、まずこれを血縁レベルでやってみろ!告発者イコール正直者と思ったら大間違い!ということですね。家族も庇えないような者が、正直者ぶって一丁前面するな!ってことですね、孔子の云わんとする所は。

〔意訳〕
(けん)知事(ちじ)(しょう)(こう)が、「(わたし)()んでいる(まち)正直者(しょうじきもの)(きゅう)さんという(ひと)がいます。近所(きんじょ)農家(のうか)から(ひつじ)(まよ)()んで()(とき)(きゅう)さんの(ちち)が、シメシメこれは大儲(おおもう)け!
とネコババして、自分(じぶん)(ひつじ)(むれ)(なか)()()んでしまったのですが、これを発見(はっけん)した(きゅう)さんは、父親(ちちおや)警察(けいさつ)通報(つうほう)したんです。どうです、立派(りっぱ)でしょう?」と()った。これを()いた孔子(こうし)(さま)は、「(わたし)(まち)ではそういう(ひと)正直者(しょうじきもの)()わず(ひと)でなしといいます。親子(おやこ)兄弟(きょうだい)はかばい()うのが()たり(まえ)でしょう。警察(けいさつ)通報(つうほう)などしなくても、父親(ちちおや)留守中(るすちゅう)にこっそりと(もと)()(ぬし)(かえ)しておけば()むことではないですか。父親(ちちおや)(かえ)って()て、アレッ?一匹(いっぴき)()りないぞ!?()ったら、さっき()(ぬし)()びに()たので(かえ)りました、(ひつじ)()(ぬし)(こえ)()っていますから!()えば、父親(ちちおや)納得(なっとく)します。これにて一件落着(いっけんらくちゃく)!!これが家族(かぞく)のかばい()いでしょう。()()ぬふりをしておきながら、いきなり父親(ちちおや)(うった)えて犯罪者(はんざいしゃ)(あつか)いしてしまうなど、立派(りっぱ)人間(にんげん)のすることではありません、(ひと)でなしです!」とおっしゃった。

〔親御さんへ〕
配慮が足りないことを「気がきかない」とか「気配りがない」と云いますが、これは自分では中々分からないものです。「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ!」と心掛けていても、自分では何でもないことが相手の機嫌を損ねることもあるし、その逆もある。「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す!」と心掛けていても、自分の望む所が相手の不本意とする所であることもあるし、その逆もある。

近年サービス業界では、ホスピタリティー(もてなしの心)がビジネスの決め手になっておりまして、もてなしの心(ホスピタリティー)のないホテル・旅館・料亭・レストラン・飲食店・専門店等はどんどん潰れている。サービス業なんだから当たり前と云えば当たり前ですが、今迄、うまいか?安いか?早いか? 便利か?だけで勝負して来た人に、いきなりコンセプトを「もてなしの心」に切り替えろ!と云っても、急に変われるものではありません。今迄とは違うセンスの持ち主を連れて来るしかない。

そこで苦肉の策として出て来たのが、パートタイマーの「女将(おかみ)制度」の導入。ピークタイムの34時間だけ集中的に取り仕切ってもらうやり方。この時モデルとなるのが、老舗の料亭や旅館のベテラン女将であります。私事で恐縮ですが、仕事柄何社かの老舗の女将と付き合いがあるものですから、優れた女将に共通する特徴にどんなものがあるか?いくつか挙げてみましたら、三つの絶対条件と五つの必要条件があることに気がつきました。

【女将の絶対条件】

      一、目配り    二、気配り    三、手配り

まずこれのできない人は、どんなに美人でも・どんなに頭が切れても・どんなに愛想がよくても女将には向きません

【女将の必要条件】


    一、器量は中〜中の上(美女はダメ)
   
二、愛敬があること(ネクラの理屈屋はダメ)
   
三、客の顔と名前と好みを三百人以上覚えられること

          (
十把一絡げのワンパターンはダメ)
   
四、口が堅いこと(スピーカーはダメ)
   
五、確かに女であること (適度の色気があること。中性化した女はダメ、
          男性化した女はもっとダメ)ざっとこんな所でしょうか。

これらはどれか一つあればいいというものではなくて、一つでも欠けたらダメなんです。こういう人は千人に一人くらいしかいないようですから、時給3000円以上出さないと集まらんでしょうな。900円や1000円ではイモしか集まりません。時給3000円出しても充分採算が取れます、こういう人はその倍稼ぎますからね。

サービス業は女性が主役、男は裏方か用心棒と相場が決まっているんです、昔から。イケメンでもない胡散臭いオッサンを店に出してどうなるんですか!?分かっていないよね、ダメになるお店ってのは…。ああ、論語の話しが又脱線してしまいました。まあいいか?皆さんの中にもサービス業の方、いらっしゃるでしょうから。
 

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