憲問第十四 365

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〔原文〕
子路問事君。子曰、勿欺也、而犯之。


〔読み下し〕
()()(きみ)(つか)えんことを()う。()(のたま)く、(あざむ)くこと(なか)れ。(しか)して(これ)(おか)せ。

〔通釈〕
子路が、君主に事える要道を問うた。孔子は、「誠を尽くして仕え、決して欺くようなことがあってはならない。もし君主に過ちがあったなら、君の機嫌を損ねようとも、毅然として諫めねばならん!」と云った。

〔解説〕
「誠を尽くして仕え、過ちがあれば諫めよ!」とは、トップに仕える側近の要諦です。しかし、いくら諫めよと云っても、相手に信用もされていないのに諫めたりすれば、「有難迷惑、余計なお世話」となって、疎んぜられてしまうことになる。場合によっては、「無礼者!」と一刀両断されてしまいます。

信用され信頼を得て初めて諫めが聞き入れられることになる訳ですが、この諫め方が又難しい。諫めがうまくできたら一流の人物とされます。ズバリと核心を突いて良いのは、生死存亡にかかわる時位のもので、それ以外はストレートに云うことを避け、喩えを引いて諫めた方が効き目がある。身近な喩えも良いが、有名な故事を引いて気付かせた方が余程効き目がある。

何十年も連れ添った夫婦の間でさえ、ズバリと指摘されると腹が立つのに、他人の諫言を快く聞き入れてくれる人など、そう滅多に居るものではありません。いたら大人物です。歴史に残る名君は、例外なく側近の諫言に快く耳を傾けた人物でした。いくら諫めても聞く耳を持たぬようならば、そこ迄の人物と見極めて、あまり深入りしない方が良いでしょう。

〔子供論語 意訳〕

弟子
(でし)
()()が、殿様(とのさま)につかえる心構(こころがまえ)えを質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「真実(しんじつ)をありの
まま(つた)えなさい。真実(しんじつ)(かく)して殿様(とのさま)のご()(げん)()るようなことはやめなさい!」とおっしゃった。

〔親御さんへ〕
真実とは本当のこと、本当のことを云われると喜ぶ人も居れば怒る人も居る。中には、「本当の私を何も分かってくれない!」と云って泣き出す人もいます。「何が本当か?本当の所は誰も分からないではないか!」と食ってかかる人もたまにおりますが、世の中明き盲ばかりではありませんから、分かる人はちゃんと分かっている。


自分が分からないからと云って、他もみなそうだろう?と思ったら大間違いです。心眼の開けた人は結構いるもんです。新年合同例会で、自我と真我の話しをしましたが、肉体我(欺我)も感情我(戯我)も思考我(擬我)もみな偽我・偽ものの自分で、神性を宿した魂こそが真我・本当の自分である!と知っているのは、当会の会員くらいのものでしょうか?

否、当会会員の中にもまだ腑に落ちていない人がいるかも知れない。何度も云うようですが、「人間の本質は魂である。肉体は魂の乗り舟である。魂は神の種(神性)を宿した永遠不滅の存在であって、生まれ変わり死に変わり(輪廻転生)を繰り返しながら、無限の進化を遂げて行く」ってことくらい、しっかりと腑におとしておかないと、あの世に帰ってから大変な後悔をすることになります。

ここをしっかり教えないから、自殺が増えるんです。これを教えるのは、本来ならば親の責任ですが、分かっていない親が多い。人間はみな神の子であって、肉の子ではありません!
 

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