衛靈公第十五 393

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〔原文〕
子曰、無爲而治者、其舜也與。夫何爲哉。恭己正南面而已矣


〔読み下し〕
()(のたま)わく、無為(むい)にして(おさむ)(もの)は、()(しゅん)なるか。()(なに)をか()すや。(おのれ)(うやうや)しくして(ただ)しく南面(なんめん)するのみ。

〔通釈〕
孔子云う、「何も特別なことはしなくとも、よく天下を治めた人物と云えば恐らく舜だろうな。舜は作為を用いず、ただ恭しく居住まいを正して南面するのみであったという」と。

〔解説〕
南面とは、古代の中国では君主は南に面して座したことから、天子となって国を治めることを云う。舜は無為無策で過ごしていたという訳ではありません。泰伯第八206章に「舜、臣五人有り、而して天下治まる」とあるように、有能な人材をどしどし登用して存分に生かしきった訳ですね。賢臣の中でもとりわけ優れた下臣に、()(治水)・()(農事)・(せつ)(文教)・(こう)(よう)(司法)・(はく)(えき)(林業)の五人がおりました。この五人のうち治水を担当した兎が舜の禅譲を受けて、夏を興すことになります。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「なんにもパフォーマンスなどしなくとも、国民(こくみん)から(した)われた王様(おうさま)(しゅん)という(ひと)がいた。(しゅん)国民(こくみん)(まえ)姿(すがた)をあらわすだけで、よく(くに)(おさ)まったという。だから(しゅん)のことを(せい)天子(てんし)というんだよ」と

〔親御さんへ〕
堯や舜のことを「聖天子」と云います。聖天子とは、聖なる使命を授かった天(神)の子の意。キリスト教で云う「天使」は神の使者の意ですから、天子も天使も似たようなものと思って良いでしょう。
 

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