衛靈公第十五 394

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〔原文〕
子張問行。子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、
雖州里行乎哉。立則見其参於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行也。

子張書諸紳。

〔読み下し〕
()(ちょう)(おこな)われんことを()う。()(のたま)わく、(げん)忠信(ちゅうしん)(こう)(とっ)(けっい)なれば、(ばん)(ばく)(くに)(いえど)(おこな)われん。(げん)忠信(ちゅうしん)ならず、(こう)(とっ)(けい)ならざれば、州里(しゅうり)(いえど)(おこな)われんや。()ちては(すなわ)()(まえ)(さん)するを()輿()()りては(すなわ)()(こう)()るを()るなり。()(しか)(のち)(おこな)われん。()(ちょう)(これ)(しん)(しょ)す。

〔通釈〕
子張が、「思うことが行われるようにするには、どうしたら良いでしょうか?」と問うた。孔子は、「言うことが誠実で言を違えないようにし、やることが篤実で慎み深ければ、たとえ南蛮北狄のような野蛮な国へ行ったとしても、必ず思った通りのことが行われるだろう。言うことに実がなくいい加減なものであったり、やることに情がなく浮ついたものであったなら、たとえ生まれ故郷であったとしても、何一つ思い通りにならんだろう。

家に在っても車上に在ってもこの『忠信・篤敬』を拳拳服膺するならば、自然に言忠信・行篤敬が身について、自分の思うことが通ようになるだろう」と答えた。子張はすぐさまこの言葉(忠信・篤敬)を大帯の端に書き付けて、修養の一大指針とした。

〔解説〕
押しが強く堂々とした子張も、内心では「どうして俺の思うことが通らんのだろう?」と悩んでいたようですね。子張第十九497章で、子張は曽子に「堂々たるかな張や。與(とも)に並びて仁を為し難し」と評されている。云うことは立派だが実がない!と周囲に思われていることを子張は気にしていたのでしょうが、どうしたら自らの言行を律することができるようになるのか?これが今一つ分からなかった。そこで孔子に尋ねたら、「言忠信・行篤敬」と云われ、これだ!と思って帯の端に書き留めた。

相手が誰であろうと、人と接する場合は「言忠信・行篤敬」が基本であると孔子は云います。言忠信とは、云うことに実があり嘘偽りがない、行篤敬とは、やることに情があり浮ついた所がない、と解釈して良いかと思いますが、言忠信と行篤敬に四通りの組み合わせが出来ます。

    1言忠信・行篤敬・・・・・云うこともやることもまともで、
                                        信用のおける人。

    2
言忠信・行不篤敬・・・・云うことはまともだが、やることがあてに
                                        ならない人。

    3
言不忠信・行篤敬・・・・云うことはあてにならないが、やることは
                                        案外まともな人。

    4
言不忠信・行不篤敬・・・云うこともやることもあてにならない、
                                        問題外の人。

ともすると我々凡人は1以外はすべてバッサリと廃してしまいがちですが、孔子は411章でそれはダメと云う。「君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず」・『できた人物は、云うことがまともだからというだけで、その人を信じ用いたりしないが、あてにならない人だから云って、その人の発言まで切って捨てることはしない』と。

つまり、2言忠信・行不篤敬、やることはあてにならなくとも、云うことがまともならば、聞くだけはきてやれ!そのうち、まともにやれるようになるかも知れん!ついでに3言不忠信・行篤敬、云うことはあてにならないがやることがまともなら、これも認めてやれ!そのうち云うこともまともになるかも知れん!?1のみならず23も、広い心で受け入れてやれ!ってことですね。4はどうしようもありません。

〔子供論語 意訳〕
弟子(でし)()(ちょう)が、「どうしたら自分(じぶん)(おも)いが相手(あいて)(つた)るようになりますか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「()うことが正直(しょうじき)でうそいつわりがなく、やることが親切(しんせつ)真心(まごころ)がこもっていれば、どんな未開(みかい)(くに)()ったとしても(きみ)(おも)いは(つう)じる。反対(はんたい)に、()うことがデタラメでやることがだらしなければ、家族(かぞく)でさえ相手(あいて)にしないだろう。これをちょっと(むず)しい言葉(ことば)でいえば、『(げん)忠信(ちゅうしん)(こう)(とっ)(けい)』と()う。この六文(ろくも)()暗記(あんき)してくり(かえ)しくり(かえ)(とな)えていれば、自然(しぜん)(こころ)(みが)かれて、自分(じぶん)(おも)いが相手(あいて)(つう)じるようになるだろう」と(こた)えた。()(ちょう)はこれはいいことを()いた!とすぐにメモして、座右(ざゆう)(めい)にした。 

〔親御さんへ〕
「座右の銘」は小学国語辞典に載っておりますから、6年生になれば分かると思います。もし分からなければ、「日常の心掛け」のこと、と教えて下さい。それでも分からなければ、「日々の目当て」と云えば理解します。正月二日の書き初めの時、「初日の出」や「心に太陽」もいいけれど、一枚位は「言忠信行篤敬」を書かせて、子供部屋に貼っておいたらいいんじゃないでしょうか。ついでに親も一緒に書いて、家の中から車の中まで、目立つ所にべたべた貼り付けて拳拳服膺したら良い。子張くらいにはなれるかも知れませんよ!?
 

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