衛靈公第十五 427

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〔原文〕
子曰、有教無類。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、(おし)()りて(るい)()し。

〔通釈〕
孔子云う、「人は教育によってどうにでもなるものであって、生まれつき貴賎の差があるものではない」と。

〔解説〕
子日以下の孔子の言葉が、たった四文字で語られているのは、本章と為政第二28章「君子不器・君子は器ならず」の二本位のものではないでしょうか? たった四文字だけれども、二本とも大変重要なことを云っている。特に本章などは、貴賎の身分制度が厳格に布かれていた当時としては、革命的なことを述べているのではないでしょうか?「血筋によって貴賎が決まるものではない!」といっているのですから。福沢諭吉は本章を「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と解した。

では一体何で人に貴賎の差がつくのかと云えば、教育の如何だ!と孔子は断言する。つまり、教育の如何が人物を決めるということです。私がここで云う貴賎とは、身分の上下を示すものではなく、人格的な意味での気高さ卑しさという意です。知識や技術のみならず、この気高さ高潔さを教えるのが「全人教育」なのですが、今は家庭でも学校でも殆ど教えなくなった。

ここ数年来「国家の品格」・「女性の品格」・「男の品格」等々、品格を冠した書籍がベストセラーになっておりますが、これなどは全人教育がなされなくなった反動でしょう。戦前であれば「修身教育」が徹底されておりましたから、品格など当たり前過ぎて売れなかったでしょうね。日本国中が飢えているんです、気高さ・潔さ・品位・人格を育む「全人教育」に。全人教育という言葉もいいねえ、知・情・意の円満な発達を促す教育、「全(まった)き人を育む教え」という意味ですからねえ!

教育改革で道徳教育が復活するのはいいことですが、道徳教育の目的は「全き人を育む」ことにある訳ですから、これは難しいねえ?教科書は誰が作るんだろう?誰が教えるんだろう?親も祖父母もできなくなっているのに…。不道徳なら教えられるけど…。

これはやっぱり「論語」をテキストにして、歴史上の偉人や英雄の物語を織り交ぜながら教えて行くしかないのかな?当会のホームページが道徳の教科書になる!なんてことはないか、バカ話しばかりしているからねえ。まあ、品行不方正の塊みたいなもんだな、私は。「交尾が先!後悔は後!」なんて云ってるんだから。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)(おー)おっしゃった、「人間(にんげん)教育(きょういく)次第(しだい)善人(ぜんにん)にもなれば悪人(あくにん)にもなるのであって、()まれつき善人(ぜんにん)悪人(あくにん)種類(しゅるい)があるのではないんだよ」と

〔親御さんへ〕
何度も云うようですが、子供にとって最大にして最強の教師は親です。最大の影響力を持ち、最強の指揮権を持つ親御さんに、是非ともお子さんに言い続けて欲しいのは、「気高い人になれ!天晴れ(アッパレ)な人になれ!」ということです。これ、今誰も云わなくなったんです。

子供には、どんなことが気高いのか?天晴れなのか?分かりませんから、過去の偉人や英雄の物語を読んで聞かせるのも良いし、絵本や童話を買って読ませるのも良い。子供に「気高い人になれ!天晴れな人になれ!」と云い続けていると、親自身みっともないこと・卑しいことはやっていられなくなりますから、知らず知らず親も気高く天晴れな人物になって来る。

自分がそうなってから子供に教えよう、などと思っていたら大間違い!一生かかってもなれません。心の中で思っているだけではダメなんです、こういうことは。口に出して云うことによって、「人に云うからには自らもそうあらねば!」という覚悟が決まって来るんです、「云うこととやることが違うじゃないか!?」と、後ろ指をさされたくないからね、誰でも。口に出して云うのは、一種の宣誓みたいなものですから効き目があります。
 

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