陽貨第十七 446

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〔原文〕
子日、性相近也。習相遠也。

 
〔読み下し〕
()(のたま)わく、(せい)(あい)(ちか)きなり。(ならい)(あい)(とお)きなり

〔新論語 通釈〕
孔子云う、「人間の本性は元々似たり寄ったりであるが、習慣によって月とすっぽん程の人物の差ができてしまうのだ」と。

〔解説〕
こういう深遠なことをサラリと言い切ってしまう所が、孔子の凄さでしょうか。孔子の人間観は、「教え有りて類なし(人は教育によってどうにでもなるものであって、生まれつき貴賎の差があるものではない)」のようであると、
衛霊公第十五427章の解説で述べましたが、この人間観の根底に「性相近きなり(人間の本性は元々似たり寄ったりである)」とする考えがあったのでしょう。

総ての人間は神の分霊(わけみたま)・分身ですから、万人に神の種つまり神と同じ性質が宿されている。一人一人が神の多様な一面を演じている為、一見するとバラバラに分離独立した存在に見えるけれども、元は一緒、一つのものなのだ!と孔子の目には映っていたのではないでしょうか。これは、釈迦の「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう・一切の存在に仏性が宿る)」と同じ考え方です。

元は同じものなのに、何故月とすっぽん程の人物の差が生じてしまうのか?孔子は、思いと言葉と行ない、つまり身・口・意の習慣の善し悪しが決定的な差を生むという。習慣が変われば人格が変わる!ということですね。習慣を変えようともせず、人格だけ変えようとしてもダメということです。プロセスを無視して、結果だけ求めるようなものですね、習慣を変えようとしないのは。

何度も云うように、習慣は変えられます、改めることができます。ただ、長年無意識でやって来た習慣を改めるには、最初に身につけた時の三倍のエネルギーが要るからでしょうか?余程の不都合が生じたり、必要に迫られた場合でもなければ、自ら改めようとしないのは。大したことではない!と、勘違いしてしまうんですね。そのまま放ったらかしにしておくとどうなるか!?孔子はズバリ次章で指摘します。
 
〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「人間(にんげん)はみな(かみ)()だから、本来(ほんらい)はそれほど()があるものではない。日頃(ひごろ)習慣(しゅうかん)のよしあしで雲泥(うんでい)()ができてしまうのだ。だから(きみ)たちはよき習慣(しゅうかん)()につけなさい!
」と。

〔親御さんへ〕
学而第一001章の〔親御さんへ〕で、「親の、子に対する贈り物の中で最良最大のものは、子供に良き習慣を身につけさせることである」と申し上げました。又、子供が小学生のうちにきちんと躾けておくべきものとして

  
@時間(約束)を守る習慣を身につけさせる。
  
A整理整頓の習慣を身につけさせる。
  
Bちゃんと挨拶できる習慣を身につけさせる。

補足として
  
1)朝起きたら家族全員で「オハヨー!」の挨拶。
  
2)決められた時間の5分前にスタンバイ。
  
3)履物を脱いだらきちんと揃える。
  
4)呼ばれたら「ハイ!」と素直な返事。
  
5)好意に対して「ありがとう!」の感謝の言葉。

を挙げました。いかがでしょうか?あれからもう五年以上経ちましたが、ちゃんと実践していますか?お子さんはきちんとできるようになりましたか?あとこれに付け加えるとすれば、「読書」の習慣でしょうか。

読書の習慣は完璧に親を真似ますから、先ず親から率先してやるべきですね。最低でも千冊位はジャンルを問わず読んでみるべきでしょう。四〜五百冊程度では、絶対量が足りません。千冊位読んでみると、読書が習慣化すると同時に、次は何を読むべきか?が自然に分かるようになります。読書嫌いの人は、四の五の云わず先ず千冊を目標にガムシャラに読んでみなさい。必ず読書好きになります。
 
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