子張第十九 489

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〔原文〕
子夏日、小人之過也必文。

〔読み下し〕
()()()わく、小人(しょうじん)(あやま)つや、(かなら)(かざ)る。

〔新論語 通釈〕
子夏云う「下種(げす)な人間は、過ちを犯すと必ず何のかんのと言い訳をする」と。

〔解説〕
小さい頃に言い訳をすると、母に「人に言い訳はできても、神様に言い訳はきかないよ!」と叱られたものです。極め付きの言い訳は何だろうか?と考えてみましたら、雍也第六148章 孔子がこっそり南子に会いに行って来た所を子路に見つかった時に発した、「予()が否なる所の者は、天之をたたん!天之をたたん!!」でしょうかね。さすがに聖人ともなると言い訳もスケールが違いますね。

私なんかが「天地神明に誓って〜」などと云ったら、余計怪しまれてしまいます、普段が普段ですから。でも、言い訳をした時は後でとても嫌な気分になる、何て卑しい人間なのか!?と。不思議ですねこれは。やはり、心の奥には神の種が宿っているとしか思えません、平気ではいられませんもの。

過ちを犯したら、「すみません!」と素直に謝るに越したことはありませんね。万人の心の奥に神の種(神性)が宿っているということは、すべての人が神とともに歩んでいるってことですよ。人に頼らずもっと自信を持って生きたらいい!もっと自分を信じて生きたらいい!! 一切存在は神の分霊(わけみたま)なのだから。「吾神と伴にあり、神吾と伴にあり」を忘れてはいかんね。漢文で書いたら「吾伴神矣、神伴吾矣」となるのかな。

〔子供論語 意訳〕
()()、「()(ちが)いを弁解(べんかい)するのは卑怯者(ひきょうもの)のすることです。君達(きみたち)は、()(ちが)いを(おか)したら、()(わけ)をせず素直(すなお)にあやまりなさい、ごめんなさい!と」と()った。

〔親御さんへ〕
弁解も卑怯も犯すも、みな小学国語辞典に載っている言葉ですから、お子さんが「これ何の意味?」と聞いてきたら、自分で辞書を引かせて下さい。言い訳をする子は、必ず親のどちらかが言い訳癖を持っています。両親とも言い訳癖があったら、パーフェクトに感染します。「どうしてこの子は言い訳ばかりするんだろう!?」と云う前に、親に言い訳癖がないか?よ〜く反省してみて下さい。親の悪癖を放ったらかしておいて、子供に「言い訳するな!」と云っても無理です。「無理が通れば道理が引っ込む」ようなものですね。
 

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