子張第十九 495

上へ

〔 原文 〕
 子游日、喪致乎哀而止。

〔読み下し〕
子游(しゆう)()わく、()(あい)(いた)して()む。

〔新論語 通釈〕
子游云う、「葬儀に当たっては、心から哀悼の誠を尽くせば良いのであって、それ以外のことにあまり気を使う必要はない」と。

〔解説〕
これは子游が一門を構えてからの言葉でしょう。礼楽に通じていた子游がこのように云うくらいですから、この頃には葬儀も形式的で大げさなものになっていたのではないでしょうか。

八佾第三044章で、林放が礼の本質問うた際、孔子は「喪(そう)はその易(そな)わらんよりは、寧ろ戚(いた)めよ(葬儀は万端調えて大げさにするよりは、寧ろ慎ましくやれ)」と述べておりますから、子游もこの教えを守り子弟に教授していたのではないかと思います。

ところが世間では、大げさで華美な葬儀に益々エスカレートして行く。この当時儒者は葬儀を執り行うことで生計を立てておりましたから、ジミ葬の子游一門には中々お呼びがかからない。これでは生計が立ちませんから、「先生、うちも派手にやりましょう!」という声が弟子の間から挙がったのではないか?これに対して子游は、「まかりならん!」となって本章の言葉を発したのではないでしょうかね。

子游は 陽貨第十七448章で、「鶏を割(さ)くにいずくんぞ牛刀を用いん」と孔子にからかわれているように、一旦こう!と決めると変えようとしない頑なな一面があったのではないでしょうか?もっとも、頑なな一面があったればこそ、礼楽に習熟することができたのでしょうが。

〔子供論語 意訳〕
子游(しゆう)が、「葬儀(そうぎ)真心(まごころ)がこもっていればそれでいいのであって、派手(はで)にする必要(ひつよう)はない」と()った。

〔親御さんへ〕
バブル経済の頃は葬儀も派手になりまして、ドライアイスの煙を天界の雲に見立てて、その中を柩が運ばれて来たり、坊さんがゴンドラに乗って登場したりと、何ともばかげた演出もありましたが、バブルが弾けてからすっかりジミ葬になってしまって、葬儀屋さんの客単価は下がりっ放し、坊さんのお布施も横ばいです。

故人の遺言で、最近は「葬儀は密葬のみ!戒名は要らない!社葬も要らない!」というケースが増えているそうでありまして、葬儀屋も坊主も前ほどは儲からなくなったそうです。子游の云うように、真心がこもっていれば派手にする必要などありませんね、葬儀は。

話し変って、先日久し振りに日蓮宗の葬儀に出て思い出したのですが、昔、音楽好きの仲間と飲んでいた時、「五拍子の音楽は滅多に聴かないなあ?テイクファイブくらいのものだろう?リズムが取りにくいものなあ!?」と話していたところ、一人の友人が「日蓮宗のお題目は五拍子で団扇太鼓を叩くよ」と云うものですから、「やってみろ!」となった。

『南無(‥)妙(1)法(2)蓮(3)華(4)経(5)、南無(‥)妙(1)法(2)蓮(3)華(4)経(5)』「ホラ五拍子だろう!?」と云う。「お前それ、南無の一拍目が休止符になっているだけで、六拍子じゃねえか!南無の所も叩いてみろよ!」。『南無(1)妙(2)法(3)蓮(4)華(5)経(6)‥‥‥』「ああ本当だ!日蓮宗の檀家はみんな五拍子と思っているぞ、俺もこれまでそう思っていたもの。これは世紀の大発見だ!!」となって大笑いでありました。

本当に日蓮宗の人はお題目を五拍子と思っているのかねえ?そいつの菩提寺の住職が、間が抜けているだけじゃないのかなあ!?子供のころに、南無妙法蓮華経のお題目は、「ドン・ツク・ドン・ドン・ツク・ツク」の六拍子で唱えるものだと教わったことがあるけど‥‥。
 
子張第十九 494 子張第十九 495 子張第十九 496
新論語トップへ