前集・58〜74

上へ


2006−7−8

58)苦心の中に


一所懸命に苦労している中に、とかく心を喜ばすことがあるものだ。(これに反し)、望みをとげた得意のときに、すぐもう、まならぬ悲しみが生じてくるものだ。

安岡正篤さんの「六中観(りくちゅうかん)」を思い出す 
       
  忙中有閑  (忙中につかんだ閑こそ本当の閑である)
  苦中有楽  (苦味の中の甘味こそ真の甘味である)
  死中有活  (身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ)
  壷中有天  (奥床しき別天地)
  意中有人  (何ごとによらず人材の用意がある)
  腹中有書  (腹中に哲学、信念がある。万巻の書がある)


「六中観(りくちゅうかん)」については、こちら
http://www.kojobunko.net/column/21seiki/message2.html


 「六然」では以下のように言っている        こうならないように注意
     自処超然(自ら処するに超然)          自ら処するに紛然(フンゼン)  

     処人藹然(人に処するに藹然)          人に処するに冷然(レイゼン)
    
有事斬然(有事には斬然)                          有事には茫然(ボウゼン)
     無事澄然(無事には澄然)             無事には漫然(マンゼン) 
    
得意澹然(得意のとき澹然)           得意のとき傲然(コウゼン)
     失意泰然(失意のとき泰然)           失意のとき悄然(ショウゼン)

 「六然
」についてはこちら
 
http://www.aianet.ne.jp/~marich/yasuoka/rikuzenn.html


59)富貴名誉の、道徳より来たる

富貴や名誉も、徳望によって得たものは、たとえば自然の野山に咲く花のようで、ひとりでに枝葉が伸び広がり十分に茂ってゆくものである。(これに反して)、事業の功績によって得たものは、たとえば人工の鉢植えや花壇のようで、移しかえたり、捨てたりまた植えたりされるものである。もし権力によって得たものであれば、たとえば花瓶に差した切り花のようで、その根がないのだから

 富貴・名誉にも三種類ある
    @徳望でえたもの   野山の花   放っておいても繁殖
  A功績でえたもの   鉢植の花   放っておくと枯れる 手入れが必要
    B権力でえたもの   花瓶の花   手入れをしてもすぐに枯れる                  


60)春至り時和(ヤワラ)げは

春がきて時候が温和になると、花も一段と美しい色どりを敷き連ね、鳥もまたいろいろとよい鳴き声でさえずるようになる。されば、士君子としては、幸にも頭角を並べてしかるべき地位らあり、衣食にも満ち足りているとすれば、無為無策に日を過ごすことなく、世を益するりっぱな言葉を述べ、りっばな仕事をすることを考えないと、たとえ百年の長生きをしたからといって、ただの一日を生きたという価値さえないのと同じになる。

 長生きだけではダメ


61)学ぶ者は、段の兢業(キョウギョウ)的の心思あり

学問に志す者は、おのれと戒め慎むような心持をもつと共に、その上にひとつ、さっぱりとものごとにこだわらないような味わいが欲しいものである。もしひたすらに、きびしく引きしめ清廉で困苦に耐えるばかりならば、万物を枯死させる秋の気ばかりで、万物を生育する春の気がないようなものである。これではどうして万物を発育することができようか。


 経費節減だけではダメである。

 トップが、六中観でいう「壷中有天」を持たないと、部下は息が詰まる。
 「壷中有天」とは、心の別天地、自分だけの仙境の事。 


62)真廉(シンレン)は廉名なし

真に清廉なる者には、清廉という評判は立たない。精錬という評判が立っている人は、実はそれを手段とする欲ばりな人である。また、真に功名な術を体得した者は、功名な術などは見られない。功名な術を用いる人は、実はそれがまだ板につかない全く拙劣な人である。


 真に偉大な人は、むしろ控えめ
 真に勇気ある人は、むしろ柔和
 真の達人は、ファインプレーはしない
 真のグルメは、通ぶらずに何でも食べる
 真のスケベは、脂ぎった顔をせず、むしろ枯れた風格がある
・・・・・なってみたい



63)欹器(イキ)は満つるを以って覆り


欹器は水をいっぱいに満たすと覆り、撲満は中が空っぽである間はその全形を保っている。故に君子というものは、心は無心の境地においても、物欲は満ちた有心の境におかない方がよく、身は不足がちの境遇におっても、満ち足りた境遇におちいらない方がよい。

 欹器の実物はこちらをどうぞ
 http://www.beijingyuer.com/cnsite/cpjs/js22.htm

 
撲満はこちら
 http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/gallery-822.html

 二分ほど足らない境遇がベターなのかもしれない。釈迦・孔子・老子は、物質的に満ち足りた
 境遇にはいなかった。ただ、ないないずくしでは困る。人生のほとんどの時間を食料確保に
 あてなければならない。


64)名根の未だ抜けざる者は


名誉心のまだ抜けきっていない者は、たとい諸侯の富貴を軽んじ一瓢の清貧に甘んじてみても、本心はすべて負け惜しみで、俗物根性に堕落している。また、血気の勇がまだ解けきっていない者は、たとい四海の万民を潤し万世に利益を与えるほどであったとしても、本人は結局、野心を満たしたままで、むだな仕業になっている。

 年をとっても最後まで残る欲が、名誉欲と権威欲。注意が必要。
 
 14年前、ダイエーの中内社長から、秦の始皇帝を連想した。秦は強大な帝国を築いたが
 二代目になったらあっという間に崩壊した。ダイエーも秦と同じような経緯をたどったので、驚いている。  


65)心体光明なれば


心体が光り輝いていると、暗い部屋の中でも青空は望み見られる。気持ちが俗念にくらまされていると、白昼のもとでも幽鬼にとりつかれる。

 肉眼では見えない暗闇でも、私心なき心眼では物が見える。
 肉眼で見える昼間でも、私心があればアキメクラ。



 

2006−9−9


66)人は名位(メイイ)の楽しみたるを


世人は名誉や地位があるのが楽しみであることは知っているが、名誉も地位もない者のほうが、もっとも真実な楽しみを持っていることを知らない。また、世人は飢えとこごえで衣食にこと欠くのが憂いであることは知っているが、衣食にこと欠かない富める者のほうが、いっそう深刻な憂いを抱いていることを知らない。



67)悪を為して人の知らんことを


悪事をなして、人がそれを知ることを恐れる者は、悪事をなす中にもなお善に向かおうとする心がある。(これに反して)、善行をなして、人が早くそれを知ってくれるようにと願う者の方が、善行の中にも悪に向かおうとする心があるものだ。

釈迦は弟子に「知らずに犯したる罪は、知って犯したる罪に百倍す」と言っています。その訳は「学而第一 008」にあります。以下をどうぞ。http://rongo.jp/kaisetsu/rongo.php?8,1
 

68)天の機緘(キカン)は測られず

天が人間に与える運命のからくりは、人間の知恵などでは到底はかり知ることができない。抑えては伸ばし、伸ばしてはまた抑えて自由自在に運命を操っている。すべてこれは英雄をもてあそび、豪傑を蹴りたおそうとするものである。だが、君子はただ、天が逆境を与えれば順境として受けとめ、平素無事の日にも危急の時に対処する備えをするだけである。だから天も、このような君子に対しては、そのはかり知れない手並みを下しようがない。

孟子の言葉に続けて読むと、言わんとする事がより分かります。

天の将に大任を是の人に降(くだ)さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、その筋肉を労せしめ、
其の体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、行なう所其の為さんとする所に払乱せしむ。
心を動かし性を忍ばせ、其の能くせざる所を増益せしむる所以なり。
人恒に過ちて然る後に能く改め、心に困(くる)しみ、慮りに横たわって、而る後に作(おこ)り、
色に徴(あらわ)れ、 声に発して而る後に喩(さと)る
 

69)燥性の者は火のごとく熾(サカ)んに

気性のかわいた激しい者は火が盛んに燃えるようで、物に出会えればなんでも焼き尽くしてしまう。恩情の乏しい者は氷のようにつめたくて、物に出会えれば必ず生気を失わせてしまう。物事に拘泥し、融通のきかない性格の者は、たまり水や腐った木のように、物事生かす力を全くなくしている。いずれも世のため人のための仕事や幸福を進めて行くことはむずかしい。

燥性の者、寡恩の者、凝滞の者は、人物鑑定法につかえる
・燥性の者は火のごとく、すべてを焼き尽くす
・寡恩の者は氷のように冷たく。すべての生気を失わせる
・凝滞の者はたまり水や腐った木のように、物を生かす力を全くなくしてしまう。

ただ人間は極端な性格を持っていても、それに適した職業がある。
・燥性の者・・・突撃隊長
・寡恩の者・・・首切り屋
・凝滞の者・・・金庫番

70)幸は徼(モト)むべからず

幸福はこちらから求めて求められるものではない。ただ楽しい気持ちを養い育てて、幸福を招き寄せる用意をする外ははない。災禍はこちらで避けて避けられるものではない。ただ殺気立つ心を取り去って、災禍に遠ざかる工夫をする外はない。

八喜偈を思い出す。天とは、創造主。神とは、祖先や八百万の神をさす。

   
   

@天、人を喜ぶ   A人、天を喜ぶ   B神、吾を喜ぶ    C吾、神を喜ぶ
D天、神を喜ぶ   E神、天を喜ぶ   F人、吾を喜ぶ    G吾、人を喜ぶ

さらに四つ足して十二偈
H天、吾を喜ぶ   I吾、天を喜ぶ   J神、人を喜ぶ    K人、神を喜ぶ


71)十の語九中(アタ)るも

十語のうち九語まだ的中したとしても、世間からまだ不思議だと褒められるとは限らない。その的中しない一語のために、非難が連なり集まってくる。また十謀のうち九謀まで成功したとしても、世間からまだその人の功績だとされるとは限らない。その成功しない一謀のために、苦情が群がり興ってくる。そこで君子たるものは、むしろ沈黙を守る方が騒ぎ立てるよりもましであり、むしろ拙劣の方が小利口よりもましであるわけだ。

一般的に言えば、9割の達成なら、すごいはず。しかし。世の中、甘くはない。ボクシングの試合で、9ラウンドまで圧勝していても、10ラウンドでノックアウト負けをする場合がある。決算書では利益が出ていても、手形がショートして資金繰がつかなければ、倒産する。

トップは、肝心要、急所、分岐点をしっかり把握しなければならない。肝心要を見極めるには、安岡正篤先生の物の見方が参考になる。
@目先にとらわれず、長期的にみる
A一面だけをみるのではなく、多面的・全面的にみる。
B枝葉末節にとらわれず、物事の根本をみる。


五段階の分類も参考になる。
@なくてはならないもの   Aあったほうがよいもの  Bあってもなくてもよいもの
Cないほうがよいもの    Dあってはならないもの

ものではなく、人をあてはめても良い。この基準は時代とともに変化する。



72)天地の気は暖なれば則ち生じ

天地自然の気候が暖かいと万物が生育し、寒いと万物が枯死してしまう。それ故に人間も、心の冷ややかな人は天から受ける幸せも薄い。ただ心の暖く親切な人だけが、受ける幸せもまた厚く、恩恵もまた久しい。

 

73)天理の路上は甚だ寛(ヒロ)く

真理の大道は大変広いもので、少しこの道に心を遊ばせてみると、気持ちも広大になり、ほがらかになるのを感ずる。(これに反して)、私欲の間道は大変せま苦しいもので、一歩迷いこんだがさいご、どこもかしこも、いばらやぬかるみばかりである。

ライブドアのホリエモンのログ値は、490もある。今回の騒動は、虚業をやめて早く目覚めよという、天の警告なのであろう。 一方、村上ファンドの村上世彰は、175しかない、身から出たサビである。

74)一苦一楽、相(アイ)練磨し

苦しんだり楽しんだりして、修行を重ね練磨して作り出した幸福であってこそ、その幸福は永続する。また、疑ったり信じたりして、苦心を重ね考えぬいた知識であってこそ、その知識は本物になる。

八中練・・・高野大造作
@ 一疑一信  中練知 (知性) 
 
A 一喜一憂   中練感 (感性)
B 一虚一実   中練識 (見識)
C 一勝一負   中練
 (膽力)  
D 一進一退   中練機 (機略)
E 一長一短   中練個 (個性)
F 一ピン一笑  中練相 (人相)
G 一苦一楽   中練人 (人物)