序

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2005−9−10

「菜根」とは、野菜の根っこの事、「譚」とは、談を意味する。菜根譚は「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁(さわ)がず、競わず、随わず、もって大事を成すべし」、即ち堅忍不抜の心事と浩然の気を養う修養書。 著者の洪自誠については、分からない点が多いが、いくつかの手がかりがある。

@時代背景
   ・洪自誠が生きていたのは、明代末期の万暦年間(日本の安土桃山時代)だったらしい 
   ・明王朝は創建200年を経て、王朝の腐敗が始まっていた。
    王朝内部は権力争いで、分裂状態
    外部では、秀吉の朝鮮侵攻や、満州女真族ヌルハチ(後の清朝初代皇帝)との争い、などなど
   ・経済面、文化面は大いに栄えていた。
    江南の絹織物、木綿工業、染色業
    江西の景徳鎮の赤絵染付の陶磁器
    庶民文学が発展し白話小説が完成の域に達する(江戸時代の洒落本や読本のルーツ)

A士大夫の基本的教養と流行
   ・洪自誠は科挙の及第者で、「進士」。若い時はエリート官僚だったらしい。
   ・科挙の仕組み
      予備試験を受ける者を「童生」という。
   予備試験  県試→府試→院試 予備試験に受かったものを生員(秀才)という。  
   科挙     一次試験 郷試   文章表現力や詩文能力     受かると「挙人」
           二次試験 会試   国政における政策立案能力     受かると「貢士」
           三次試験 殿試   国家ビジョンや戦略策定能力   受かると「進士」
  ただ、一度受かってしまえば、生涯身分が保障されるため、   必ず、安逸→保身→停滞が生じた。
  心ある士君子は、呻吟せざるをえず、必然的に心の探求に向かい、老荘(道教)、   釈氏(仏教)を
   学んだ。

B師匠、袁了凡から受けた思想的影響
   袁了凡は、息子・天啓のために、立命の書「陰隲録」(インシツロク)を書いた。立命論とは、自己責任
 (反省)と自助努力(改過)の論。幸せな人生を送るか、不幸せな人生を送るかは、須らく己自身の
  思いと行動の集積であると説く。

   袁了凡は王陽明の孫弟子なので、洪自誠は曾孫弟子となる。

   陽明学のエッセンス「四句教」とは
   善無く悪無きは、是れ心の体・・・・・善も無く悪もないのが、人の心の実相である  
   善有り悪有りは、是れ意の動・・・・・この世に生まれると、知らず知らずのうちに、善も悪も身に纏う
   善を知り悪を知るは、是れ良知・・・本来の自己に立ち返り、霊的観点から見た
                                               善悪を分かつ知恵が必要 。これを良知という。
   善を為し悪を去るは、是れ格物・・・日々の己の身(行い)、口(言葉)、意(思い)を点検する。
                        悪なる思いを去り、善なる思いを為す
                        悪なる言葉を去り、善なる言葉を為す
                        悪なる行いを去り、善なる行いを為す
                        これを格物という。

C洪自誠の悟りのレベル
 こちらを参照 https://rongoni-manabukai.jp/sai-top.htm

   ・仁の土台は第四段階「寛恕」  
   ・義の柱は国家レベルの中
   ・礼の柱は変通自在レベルの中
   ・知の柱は覚識レベルの中
   ・信の柱は信奉レベルの中
   ・中庸の発現レベルは、治国A「人縁レベル」の中
   ・仏教用語で言えば、菩薩の境地
   ・キネシオロジーテストの数値 560