公冶長第五 096

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原文          作成日 2004年(平成16年)2月から3月
子貢問曰、賜也何如。子曰、女器也。曰、何器也。曰、瑚璉也。
 
〔 読み下し 〕
()(こう)()うて()わく、()やいかん。()(のたま)わく、(なんじ)()なり。()わく、(なん)()ぞや。(のたま)わく、瑚璉(これん)なり。
 
〔 通釈 〕
子貢が、「私はいかがでしょうか?」と自分の評価を請うた。孔子は、「お前は器(き・道具)である」と答えた。いささか不満を覚えた子貢は、「一体どのような器でありましょうか?」と再び問うた。孔子は、「お前は宗廟のお祭りに用いる瑚璉(玉を飾った貴重な食器)だよ」と答えた。
 
〔 解説 〕
普段から「君子は器成らず」(為政第二)と聞かされていた子貢にとって、「女(なんじ)は器なり」と評されたことは、ショックだったに違いない。しかし、すかさず「何の器ぞや?」と切り返すあたりは、さすがに孔門の逸材子貢ならではと云った所ですね。

「瑚璉なり!」と云われてホッ?としたのかハッ?としたのかは分かりませんが、「いかに立派とは云え、器(道具)で満足してはいかん!その器を使う大人物たれ!!」とする師の想いととったのではないでしょうか。(果たせるかな、子貢は後に魯と衛の宰相を務めることとなります)

話は変わりますが、どうして「公冶長論語に須磨源氏」なる俗言が生れたのだろうか?どうして公冶長で大半が投げ出してしまうのだろうか?その二つ前の八佾第三の方が余程つまらないのに・・・?と、あれこれ思案してみましたら、ハハーンこれか!と思い当たることがありました。

この篇は全部で二十八章ありますが、数章を除いた殆どが、門人や要人・先人の月旦評(人物批評)でありまして、登場人物のバックグラウンドが分からないと、何を云っているのか、さっぱり訳が分からないのではないでしょうか。

皆さんにお配りしている講義資料には、登場人物のバックグラウンドやエピソードを簡潔に載せておりますから、フーンこんなもんか?と当たり前のように思っておられるかも知れませんが、独習でやろうとなったら、この篇に登場する人物の背景を調べるだけでも、そうですね・・・史記と家語(けご)は勿論ですが、最低「春秋左氏伝」には当ってみないと、何を云っているのか、さっぱり分からんでしょう。

漢学を専門にやっている人ならばいざ知らず、余程の物好きでもなければ、仕事を持っている一般の人はやりませんよ。否、それ以前に、どんな書物のどこを調べれば良いかすら分からないのが普通です。そんなこんなで、公冶長迄来ると、「何じゃこりゃあ!?」となって投げ出してしまうんでしょうね。ト

そこで今日はひとつ、公冶長第五を攻略する為の秘訣をお教えしましょう。
名付けて『1800円で楽しむ公冶長』。

  *岩波文庫青214-7
       「史記世家(せいか)・中」の中の孔子世家を読め!620円。

  *岩波文庫青214-1
       「史記列伝・一」の中の仲尼弟子列伝を読め!570円。


  *岩波文庫青202-2
       「孔子家語(けご)」を読め!600円。これで〆て1790円。

ページ数にしても僅かな分量でしかありませんから、当会の会員ならば必ず読んでおいて下さい。(借りて読もうなどとケチなことは云わず、買って読みなさい!図書館で借りるのなら、「国訳漢文大成」でも借りて読みなさい)「経学(けいがく・考証的解釈学)」をやる人の中には、家語を云々する者もおりますが、エピソードを知るにはいい読み物です。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)()(こう)が、「(わたし)はどんな評価(ひょうか)をもらえるでしょうか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)が、「お前(おまえ)はものの(やく)()道具(どうぐ)だな」とおっしゃった。()(こう)はムッとして、「ではどんな道具(どうぐ)ですか?」と(かさ)ねて質問(しつもん)すると、孔子(こうし)(さま)は、「そうだなあ、道具(どうぐ)道具(どうぐ)でも、大切(たいせつ)なお(まつ)りの(とき)供物(くもつ)()りつける、宝石(ほうせき)をちりばめた大皿(おおざら)かな」と(こた)えた。
 
〔 親御さんへ 〕
人材を器材に喩えて弟子の子貢を諭している訳ですが、どんなに立派な器材と雖も、所詮は使われてなんぼ、生かされてなんぼの、用途の限られた道具でしかありません。それを作る人もおれば、使う人もいる。人材に当てはめてみるならば、人を養成する人もおれば、人を生かして使う人もいる。物はそれ自体、作る側にも廻れなければ、生かす側にも廻れませんが、人は心掛け次第で自分自身は勿論のこと、人をつくることも出来るし、生かす事も出来る。

孔子がここで子貢に云わんとする所は、こういうことなのではないでしょうか?「用途の限られた便利な道具(人材)で終わるな!道具(人材)を生かして使い、使って生かす大人物たれ!」と。 子供に対しては、高校生迄は「少年よ大志を抱け!」、高校を出たら「大人物たれ!」と云い続けて励ましてやったらいい。親が大したことがないからといって、遠慮することはない。否、大したことがないからこそ、云い続けてやらねばいかんのです。大したものであれば、わざわざ口に出して云う必要なんかありませんよ、後ろ姿を見て立派に育つから。

孔子程の大人物でも伜の鯉に云っているではないですか、「詩や礼を学ばないと、立派な人物にはなれんぞ!」と。[季氏第十六の庭訓(ていきん)]お子さんに云い続けてやって下さい、「少年よ大志を抱け!」・「大人物たれ!」と。奥さんもどうか協力してあげて下さいね。

間違っても、「アーラ、あなた!柄にもないこと云うじゃない?どうせ蛙の子は蛙よ!」などといってはいけません!!「そうよ!パパみたいな立派な人物になりなさい!!」と云い続けていれば、そのうちパパだってものになるかも知れませんからね。
 
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