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原文
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作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月 |
子曰、興於詩、立於禮、成於樂。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「詩(言葉)によって情緒の発達を促し、礼(躾)によって社会の規範を身に付け、楽(音楽)によって豊かな情操を育む。これが児童教育の基本である」と。
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〔 解説 〕 |
この章は、学問の道を志す者の教育課程と捉えて「詩によって感奮興起し、礼によって自己を確立し、楽によって人格を形成する」と解釈するのが一般的ですが、孔子が編纂したとされる「礼記」の内則(だいそく)篇(家庭内教育の意)に、子供の教育順序が次のように述べられております。
子供が自分で物を食べられるようになったら右手で食べるように
教え、しゃべられるようになったら男の子には“唯(い)”女の子には
“兪(ゆ)”と返事をするように正しい言葉づかいを教える。
・・・中略・・・
6才になったら数の数え方と方角(東西南北)を教える。
7才になったら男女を同じ席に坐らせず、一緒に食事をしない。
8才になったら家や部屋の出入りの仕方(起居振舞)や、飲食する時に
年長者に上座を譲る作法を教える。
9才になったら暦の読み方を教える。
10才になったら寄宿舎に入れて読み・書き・算盤を習わせる。
・・・中略・・・
初めの躾が肝腎なので、幼いうちから朝夕礼儀作法や挨拶の仕方を
教えるのである。そして13才になったら音楽を学び、詩に節をつけて
歌い勺(しゃく)の曲を舞う」と、元服(15才)するまでの男児の
教育順序が述べられています。
つまり、言葉づかい→礼儀作法→音楽の順に教えて、一応の基礎教育が成る。
そして15才になると愈々本格的な学問の道に入り、「成人(15才)すると
射・御を学び、20才になると冠をつけて初めて公式の礼制度を学ぶ」とある。
古代から優れた児童教育の課程を集録した「小学」に、「童稚(どうち)の学は記誦(きしょう)に止まらず。其の良知良能を養うには、当(まさ)に先入(せんにゅう)の言を以て主と為すべし(子供の教育は単に暗記暗誦をするだけに止まってはいけない。本来その子の持っている知性や感性を養い育むには、初期に何を語り何を聞かせるかが肝腎である)」とあって、幼児に語る言葉を吟味せよ!と説いている。
人間の情緒の形成は、3才~5才頃迄にほぼ決まってしまうと云われておりますから、それだけ幼児に語りかける言葉は重要です。孔子の頃の魯には、幼児に言葉を教える際、いくつかの「童歌(わらべうた)」や「言葉あそび」のようなものがあって、詩経の文言が引用されていたのではないでしょうか?
(臆断ですが)、考えすぎかもしれませんが、この章は大人の教育について語ったものではなくて、子供の教育について語っているのではないかと思います。弟子の中の誰かが、「子供をどうやって教育したら良いでしょうか?」と質問した時に孔子が答えたものでしょう、
まず正しい言葉づかいを教えなさい→
次にしっかりと躾をしなさい→
そして音楽によって豊かな情操を育みなさい! と。
大分乱れて来ましたけれども、これは今でも家庭教育の基本ですね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「君達はまず正しい言葉づかいを学びなさい。次に礼儀作法を身につけなさい。そして音楽を楽しんで豊かな感性を磨きなさい」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
これが13才迄(小学生)の児童教育の基本です。「まず子供に正しい言葉づかいを教える。次にきちんと躾をする。そして音楽(いい音楽を聞かせ、楽器で遊ばせ、一緒に歌ったり弾いたりして楽しむ)に親しませる」、これが子供の情緒の発達を促し、折り目正しさを身につけ、豊かな情操を育むのだ!と孔子は云います。これをきちんとやっておけば、個性は自然に伸びて来る、ということでしょう。
小学生のうちは、人としての身(しん・行ない)・口(く・言葉)・意(い・思いや感性)の基礎をしっかりと固めるのが先決であって、殊更個性個性と騒ぎ立てる必要などない!放っておいても個性などは伸びて来るものだ!!ということですね。
近年子供の個性教育がかまびすしく語られておりますが、家庭でも学校でも、個性教育などと云うものが果たしてできるのでしょうか?親や教師は、子供自身が個性を伸ばせるように環境を整えてやるのが精一杯なのではないでしょうか?その前に、子供のうちにやるべきことをきちんとやっておけ!ということですね、親も教師も。
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