〔
原文
〕
作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
唐棣之華、偏其反而。豈不爾思。室是遠而。子曰、未之思也。夫何遠之有。
|
〔 読み下し 〕 |
唐棣の華、偏として其れ反せり。豈爾を思わざらんや。室是遠ければなり。子日わく、未だ之を思わざるなり。夫れ何の遠きことか之れ有らん。
|
〔 通釈 〕 |
『にわざくらの花がひらひらと揺れている。咲き乱れる花のように美しいあなたを、愛しく思わぬ訳ではないけれど、なにぶん家路が遠過ぎて』という流行歌を聞いていた孔子は、「何を云っているんだ!それはまだ真底惚れていない証拠だ!本当に惚れているなら、何の遠いことなどあろうか!惚れて通えば千里も一里というではないか!!」と云った。
|
〔 解説 〕 |
結語の「惚れて通えば千里も一里」は付け足しになりましたが、孔子はきっとこういうことを云いたかったのだと思います。<序>の「論語開眼」でも申しました通り、論語を読んだことのない人は、孔子を道徳の干物か倫理の化石のように考えているようですが、とんでもありません。
男女の機微も分からんようでは、人様に人の道を教えることなどできんのです!素顔の孔子は、酒も飲めば歌も歌う、オシャレでもありグルメでもあった。時には、弟子達に内緒でこっそりとデートにだって行って来る。運悪く弟子の子路に見つかって問い詰められると、「イヤラシイことなどしてないってば!」と、ちゃんと言い訳までしている。(雍也第六「子南子を見る・・・」)
『ほのぼのとして、何となくユーモラスで、どこか懐かしい感じがして、いつまでも無邪気な遊び心を失わない』粋(いき)な人だったんですよ、孔子は。論語を編集した弟子達の中にも、きっと粋なセンスを持った人がいたのでしょうね、こういう文章をちゃんと残したんですから。次回からの「郷党第十」では、そんな孔子の日常生活を紹介致します。
|
〔 子供論語 意訳 〕 |
『花のように美しいあなたは、今何を想っているのでしょうか?飛んで行きたいところだけれど、家が遠くて歩いて行けない。ザ~ンネ~ン!』という歌を聞いていた孔子様は、「この歌はどこかウソっぽいね。チャリンコで行けば一っ走りじゃないか」とおっしゃった。
|
〔 親御さんへ 〕 |
孔子がザ~ンネ~ン!などと云う筈がありませんから、この章は読み飛ばしてもらって結構です。小学生に男女の機微など早過ぎますからね。
|