顔淵第十二 293

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原文                 
司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我獨亡。子夏曰、商聞之矣、死生有命、
富貴在天。
君子敬而無失、與人恭有禮、四海之内、皆兄弟也。
君子何患乎無兄弟也。
 
〔 読み下し 〕
司馬(しば)(ぎゅう)(うれ)えて()わく、(ひと)(みな)兄弟(きょうだい)()り、(われ)(ひと)()し。()()()わく、(しょう)(これ)()く、死生(しせい)(めい)()り、富貴(ふうき)(てん)()り。君子(くんし)(つつし)みて(うしな)うこと()く、(ひと)(まじわ)るに(うやうや)しくして(れい)()ば、四海(しかい)(うち)(みな)兄弟(きょうだい)なり。君子(くんし)(なん)兄弟(きょうだい)()きを(うれ)えんや。
 
〔 通釈 〕
司馬牛は四人の兄が皆出来損ないであることを憂えて、「世間の人は皆兄弟仲睦まじくやっているのに、私には兄があっても無きに等しく心苦しい」と子夏に打ち明けた。子夏は、「私は先生から“人の生死も富貴も天命によるものであって、人の力では如何ともし難いものがある”と聞いている。兄弟の有る無しも出来不出来も天命だからどうにもならない。君も兄のことをとやかく云う暇があったら、自分に対しては身を慎み、人に対しては礼を尽くして恭しく接すれば、世界中の人が君を兄弟同様に迎えてくれるだろう。君子たらんとする君が、兄弟がどうのこうのと今更どうにもならんことでクヨクヨする必要がどこにあるのだ!?もっとシャキッとしろよ!!」と云った。
 
〔 解説 〕

司馬牛の性格を慮って、もし私が子夏ならどう云っただろうか?と思いながら通釈してみました。かなり文言を補いましたが、恐らく子夏はこう云いたかったのではないかと思います。本章の子夏の言葉から「死生命有り、富貴天に在り」と「四海兄弟(四海同胞)」なる有名な成語が残った。

司馬牛が論語に登場するのは前々章・前章・本章の三ヶ所だけですが、たった三本で司馬牛の性格が浮き彫りにされています。編者は本章での子夏との会話で決めにしよう!と考えて編集したのではないでしょうか。

最初は孔子に「言葉を控え目に!」と云わせ、次に「クヨクヨせずビクビクせず!」と云わせ、最後は子夏に「シャキッとしろよ!」と云わせて結んでいる。司馬牛は、宋の襄公の父桓公の血を引く名門貴族の出で、五人兄弟の末っ子(長男、向巣(しょうそう)・次男、桓魋(かんたい)・
三男、子欣(しきん)・四男、子車(ししゃ))、「四兄(しけい)皆不賢」とありますから、五人兄弟の中では司馬牛が一番まともだったのでしょうが、史記には、「牛、多言して躁なり」と紹介されておりますから、やはり口が軽く、軽率雑駁で締まりがない人だったようですね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)司馬(しば)(ぎゅう)が、「(ひと)にはみな兄弟(きょうだい)がいて(たの)しそうなのに、ボクだけ(ひと)りぼっちで(さび)しい」とクヨクヨして()った。クラスメートの()()は、「ボクは先生(せんせい)から“(ひと)にはそれぞれその(ひと)相応(ふさわ)しい人生(じんせい)があるのだから、人様(ひとさま)をうらやましがる必要(ひつよう)はない。ないものねだりはいけないよ!」と(おそ)わっている。(きみ)もないものねだりをしないで、(あか)るく(ほが)らかに礼儀(れいぎ)(ただ)しく(ひと)(せっ)するようにすれば、世界中(せかいじゅう)(ひと)(きみ)兄弟(きょうだい)同様(どうよう)(むか)えてくれるよ。ボクたちがついているからクヨクヨするなよ!」と(はげ)ました。
 
〔 親御さんへ 〕

「死生命有り、富貴天に在り」も「四海兄弟(四海同胞)」も、共に子夏が残した言葉だったんですね。てっきり孔子かと思っておりました。前に述べたかも知れませんが、子夏は衛出身で孔子より44才年下。孔子の死後西河(せいが)(黄河の西)に住んで学問を教え、後に魏に招かれて文侯の師となる。息子が死んだ時ひどく悲しんで失明した、とありますから、顔淵を失った時に孔子が思わず叫んだ「ああ、天予を喪ぼせり」と同じ心境を味わったのではないでしょうか?結構長生きしたようですが、何才で没したかは分かっておりません。

子路・子貢・顔淵についで子夏が四番目に多く論語に登場する所を見ると、かなり期待された弟子だったようです。子夏は後に六経(りくけい)(易・書・詩・春秋・楽・礼)に通じた大学者として天下に聞こえる人物となりますが、雍也第六133章で「女(なんじ)君子の儒(大学者)と
なれ、小人の儒(物知り学者)となるなかれ!」と孔子に諭されておりますから、若い頃は知識を鼻にかけて天狗になる所があったのではないかと思います。

ただ、先進第十一278章で孔子に「商や及ばず」と評されておりますから、どこかぼんやりと
して間の抜けた所があったのかも知れません。論語は恐らく子夏の弟子筋が中心となって最初の編纂が成されたのではないかと思います。
 

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