子路第十三 313

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〔原文〕
子路問政。子曰、先之勞之。請益。曰、無倦。

〔読み下し〕
()()(まつりごと)()う。()(のたま)わく、(これ)(さき)んじ(これ)(ねぎら)う。(えき)()う。(のたま)わく、()むこと()かれ。

〔通釈〕
子路が、政治に臨むに当っての心構えを問うた。孔子は、「何事も率先して行ない、部下を労(いたわ)ってやること」と答えた。子路は、「たったそれだけですか?」と重ねて問うた。孔子は、「そうだ、やりっ放しにせず、最後まで粘り強くやりなさい!」と答えた。

〔解説〕
倦むを辞書で引くと、嫌になる・飽きる・退屈する・飽きて疲れるの意とある。元の意味はどうなのか?と思って漢和辞典を引いてみると、倦=人+巻(けん・ぐったりとしてだれるさま)の会意文字とありますから、「途中で飽きてだらけてしまう」ことが倦むという言葉の由来なのでしょう。

子路のようにログ600を越える程の高い意識レベルの人でも、飽きっぽい所があったんですかね。もっとも子路は行動派の人でしたから、役所の中で決まりきった仕事をするのには向いていなかったのかも知れません。文官よりも武官に向いていたようですね。子路は長剣の使い手で武術にはたけていたけれども、礼楽は全くの苦手で、若い頃は礼楽の修業を怠けていたのではないでしょうか?

子路は兵車千乗を出す大国の将軍になれるだけの素質はある!と見抜いていた孔子は、一兵卒で終わるのなら武術を磨けば良いけれど、ジェネラル(将軍)ともなれば礼楽にも通じていなければならん!?と慮って、「(礼楽の修得に)倦むことなかれ!」と教えたのではないでしょうか。

〔意訳〕
弟子(でし)()()が、政治家(せいじか)としての心構(こころがま)えを質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「(なに)ごとも率先(そっせん)して実行(じっこう)しなさい。そして部下(ぶか)をいたわってやりなさい」と(こた)えた。()()先生(せんせい)(こた)えがあまりにも簡単(かんたん)だったので、「たったそれだけでいいのですか?」と(かさ)ねて質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「そう!どんなことでも一度(いちど)()()んだら、途中(とちゅう)()げやりにせず、最後(さいご)まで根気(こんき)よくやりとげること!」とおっしゃった。

〔親御さんへ〕
物事に取り組むには、勇気(勇敢)・やる気(熱意)・元気(エネルギッシュ)・根気(粘り強さ)の四つの気力が必須と云われますが、物事が成就するかどうかの最後の決め手が「根気」であります。

好きで楽しいことなら、放っておいても苦痛なくやり遂げられるのでしょうが、人生好きで楽しいことばかりではない。むしろ辛く苦しいことの方が多い。こうしないと魂が磨かれませんから、生まれる前に一人一人が今世クリアーすべき課題として、魂のレベルに見合ったハードルを設定して来る。このハードルをクリアーするには、かなりの努力と忍耐が要る。努力を積み重ね、忍耐を持続するに必要な気力が根気。

ですから、飽きっぽくて根気がないと云うのは、人間として重大な欠陥と考えて良いのではないでしょうか。前回の講義で、飽きっぽい性格の子供を直すには「便所掃除」が効果覿面という話しをしましたが、根気も習慣の賜物ですから、小さいうちから習慣付けした方がいい。成人してから直すのは骨が折れます。根気のない人は、何をやらせてもモノにならんようですね。
 

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